三田氏宗
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三田 氏宗(みた うじむね、生没年不詳)は武蔵国の国人。勝沼城主。子に三田政定がいる。
三田氏は武蔵国杣保(現在の青梅市周辺)に根を張った国人で平将門の後裔と称していた。
室町時代には関東管領山内上杉氏と主従関係にあったようで、氏宗は上杉顕定の元で活動している。 長享の乱の際には長尾能景が扇谷上杉氏方から奪い取った椚田城(初沢城)の城主になっている。
連歌師宗長の「東路の津登」(あづまじのつと)には宗長が永正6年(1509年)8月に勝沼城の氏宗の元を訪れ数日間滞在した事が見える。氏宗は子の政定と共に宗長を手厚くもてなし、宗長滞在中に度々連歌の会を催している事から和歌の嗜みもあったと思われる。
また、氏宗は文亀年間に天寧寺を開基し、海禅寺・虎柏神社などの領内の社寺を保護を積極的に行っている。天寧寺には子の政定が大永元年(1521年)に奉納した鐘が有り、それには「大旦那平朝臣将門之後裔三田弾正忠政定」と刻まれている。
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