七国峠 (平塚市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/18 09:19 UTC 版)
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。(2025年6月)
|

名称由来
かつて、この峠から甲斐国、上総国、駿河国、伊豆国、安房国、武蔵国、相模国の七国が一望できたことから、この名称がついた。現在はゴルフ場が遮っており、かつての7国を一望することはできない。なお、富士山を望めることから関東の富士見百景に選出されている。
歴史
1180年(治承4年)に源頼朝が挙兵した際、この土地の権力者であった土屋三郎宗遠が頼朝に協力したが、頼朝は戦に負け、頼朝に協力していた宗遠の息子の忠光も戦死してしまった。
忠光の氏を悼み供養するために、この峠には源氏らの力で松が植えられたという。現在この松は存在しないが、死を悼む気持ちを尊重し別の松が植え替えられている。
通過する道路
アクセス
関連項目
座標: 北緯35度20分12.0秒 東経139度14分35.6秒 / 北緯35.336667度 東経139.243222度
Weblioに収録されているすべての辞書から七国峠 (平塚市)を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。

- 七国峠 (平塚市)のページへのリンク