ロバート・バーンズ (美術家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/26 01:50 UTC 版)
ロバート・バーンズ
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Robert Burns | |
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1910年代のロバート・バーンズ
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生誕 | 1869年 イギリス、エディンバラ |
死没 | 1941年 イギリス、エディンバラ |
ロバート・バーンズ(Robert Burns, HRSA, RSW、1869年 - 1941年)は、スコットランド生まれの画家、工芸家である。アーツ・アンド・クラフツ運動の中で活動した。
略歴
エディンバラで生まれた。父親のアーチボールド・バーンはスコットランドのハミルトン出身の写真家であった。家族はエディンバラの中心にあるカールトン・ヒルの、かつて画家のデイビット・オクタウィウス・ヒル(David Octavius Hill: 1802-1870)のスタジオであった邸にしばらく住んだ。エディンバラの学校で学んだ後[1]、グラスゴーに移り、グラスゴー美術学校の夜間クラスに入学した。画家のエドワード・アーサー・ウォルトン(1860-1922)に勧められて画家の道に進むことになり[2]、ロンドンに移り、ウェストミンスター美術学校(Westminster School of Art)のフレデリック・ブラウンに学んだ。
1889年にパリに移り、その後2年間、私立の美術学校のアカデミー・ドレクリューズで、オーギュスト・ジョゼフ・ドレクリューズやポール=ルイ・ドゥランス、エドワード・エルツに学んだ。
スコットランドで活動し、1901年スコットランド芸術家協会(Society of Scottish Artists)の会長に選ばれた。1920年にはモロッコに旅した。1924年に再びスコットランド芸術家協会の会長に選ばれ、1927年までその仕事を続けた[3]。
パトリック・ゲデスによるスコットランドの近代都市計画の理念やウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動の信奉者となり様々な工芸の分野でも活躍した。
1908年から1919年までエディンバラ・カレッジ・オブ・アート(Edinburgh College of Art)で絵画を教えた[4]。
画家としてはアール・ヌーボーのスタイルの絵画や人物画を描いた。
作品
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鷹と少女 (1901)
National Galleries of Scotland -
ダイアナとニンフたち (1926) 77
National Galleries of Scotland -
ペン画 "Signs of the Zodiac"
アバディーン美術館
参考文献
- ^ Martin Andrew Forrest, Robert Burns (1869–1941) in Willcocks, Clive (Ed.) (2014), Sir Patric Spens: The Background of the Ballad and the Vision of the Artist – Robert Burns, Limner, Dunfermline Heritage Community Projects, pp. 80 & 81 ISBN 978-0-9557244-3-5
- ^ Martin Andrew Forrest (1982), Robert Burns (1869–1941), in Michael Cuthbert (Ed.) (1982), On the Side of Life: Patrick Geddes 1854–1932), Edinburgh College of Art, p. 10
- ^ “Presidents and Secretaries”. SSA Presidents and secretaries (14 May 2023). 14 May 2023閲覧。.
- ^ “Robert Burns – Artist – The Fine Art Society in Edinburgh”. fasedinburgh.com. 2018年2月10日閲覧。
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