ロバート・ハロルド・コンプトンとは? わかりやすく解説

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ロバート・ハロルド・コンプトン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 15:04 UTC 版)

ロバート・ハロルド・コンプトン(Robert Harold Compton、1886年8月6日 - 1979年7月11日)はイギリスのテュークスベリー生まれで、南アフリカで働いた植物学者である。南アフリカの植物の分類学の分野で働いた。ケープタウンのカーステンボッシュ植物園に標本館を創立した(Compton Herbarium)[1]

略歴

イギリス、グロスタシャーのトゥックスベリ(Tewkesbury)に生まれた。ケンブリッジ大学で学んだ。ケンブリッジ大学で植物学の助手を務め、1914年にニューカレドニアへの植物調査にも参加した。ケンブリッジ大学では植物解剖学、形態学を研究した。第一次世界大戦で1915年に召集され、1918年まで軍務についた。1919年に南アフリカに渡り、カーステンボッシュ植物園の園長となった。同時にケープタウン大学の植物学の教授(ハロルド・ピアソン教授職)に就いた。南アフリカでの研究分野は南アフリカの植物の分類で、著作の大部分は「南アフリカ植物ジャーナル」("the Journal of South African Botany")に発表された。1935年から引退まで「南アフリカ植物ジャーナル」の編集を行った。

1953年の退職後、スワジランドに住むことを選び、スワジランド政府の依頼で、スワジランドの植物調査を行い、結果は、"An Annotated Checklist of the Flora of Swaziland"として1976年に発表された。

1957年に南アフリカ科学振興協会(SA Association for the Advancement of Science)の会長に選ばれ、南アフリカ王立協会のフェローに選ばれた。王立園芸協会の名誉フェローに選ばれた。1968年にケープタウン大学の名誉博士号を授与された。

ヤマモモ科の植物の属名、Comptonella や、キク科の植物の属名、Comptonanthus などに献名されている。

著作

  • Wild Flowers of the Cape of Good Hope - Elsie Garrett Rice and Robert Harold Compton (Kirstenbosch: The Botanical Society of South Africa, 1950)
  • Garden for A Nation (Kirstenbosch: Cape Town: Tafelberg, 1965)
  • Flora of Swaziland (1976)
  • Our South African flora (Cape Times, Cape Town 1930s)

参考文献

  • Rourke in Forum Botanicum 14:57 (1976)
  • Rycroft in Veld & Flora 65: 74-75 (1979)
  1. ^ Compton Herbarium (NBG & SAM) Cape Town”. South African National Biodiversity Institute. 2008年10月14日閲覧。



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