ルーマニア国立歴史博物館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/29 16:55 UTC 版)
![]() Muzeul Național de Istorie a României |
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施設情報 | |
専門分野 | ルーマニア史 |
開館 | 1970年 |
所在地 | ![]() ヴィクトリエイ通り12番 |
位置 | 北緯44度25分54秒 東経26度05分50秒 / 北緯44.431531度 東経26.097225度座標: 北緯44度25分54秒 東経26度05分50秒 / 北緯44.431531度 東経26.097225度 |
外部リンク | www |
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ルーマニア国立歴史博物館(ルーマニアこくりつれきしはくぶつかん、ルーマニア語: Muzeul Național de Istorie a României)は、ルーマニアのブカレストのヴィクトリエイ通り12番 にある博物館で、先史時代から現代までのルーマニアの歴史的工芸品が収蔵されている。
概要
博物館は旧郵政庁舎内にあり、切手博物館も併設されている。8,000平方メートル(86,000平方フィート)を超える敷地には、約60の貴重な展示室がある。常設展示には、トラヤヌスの記念柱全体の石膏像、ルーマニアの王冠の宝石、ピエトロアセレの宝物などがある[1]。
建物は、1892年に建築許可が下り、建築家アレクサンドル・サブレスクは郵便検査官エルネスト・ストゥルザと共に、設計のためにヨーロッパ各地の郵便施設を視察した。最終的なスケッチは、主にジュネーブの郵便施設の影響を受けていた。折衷様式で建てられたこの建物は長方形で、高い地下室に大きなポーチがあり、上層階は3階建てとなっている。石造りのファサードは、10本のドーリア式の柱で支えられたポルティコと、建物の全長に渡る12段の階段からなるプラットフォームを特徴としている。寓意的な彫刻装飾の細部が数多く施されている[2]。
2012年現在、博物館は大規模な修復工事が行われており、一部のみが開館している。建物の下から中世後期の考古学遺跡が発見された[3]。 2025年1月25日、同博物館からオランダのアッセンにあるドレンツ博物館に貸し出されていたゲト=ダキア人の兜「コツァフェネシュティの兜」が、他の貸し出されていた金の工芸品3点とともに盗難に遭い、行方不明となっている[4]。この盗難後、貸し出し契約はルーマニアで批判を浴びた[5]。同年1月28日、ルーマニアのナタリア・イントテロ文化大臣は、エルンスト・オーバーレンダー館長を「国家遺産を適切に保護できなかった」として解任した[6]。
ギャラリー
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建物のメインビュー
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アーケード
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正面図Frontal view
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トラヤヌスの記念柱: 常設展示
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トラヤヌスの記念柱
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鋼鉄の王冠とエリザベス女王の王冠
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プレヴナ包囲戦に関連するさまざまな物品
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ダキアのブレスレット
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衣装の広間
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時計の展示
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ハマンギアの思想家
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ソフィア・ポトツキーの石棺
出典
- ^ “cIMeC - Muzee și Colecții din România”. ghidulmuzeelor.cimec.ro. 2025年4月29日閲覧。
- ^ “Palatul Poștelor din București” (Romanian). Bucharest, Romania: World Wide Romania. (2015年2月6日). オリジナルの2015年5月28日時点におけるアーカイブ。 2025年4月29日閲覧。
- ^ “Muzeul Național de Istorie a”. 2025年4月29日閲覧。
- ^ “Theft in Netherlands of ancient golden helmet leaves Romania distraught”. AP News. 2025年1月28日閲覧。
- ^ “Veldkamp: alles op alles zetten om gestolen kunst Drents Museum te vinden” (オランダ語). (2025年1月27日) 2025年1月28日閲覧。
- ^ “Verdachten kunstroof komen uit Noord-Holland, directeur Roemeens museum ontslagen” (オランダ語). (2025年1月28日) 2025年1月28日閲覧。
外部リンク
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