ルーシャス・ヘンダーソンとは? わかりやすく解説

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ルーシャス・ヘンダーソン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/03 02:45 UTC 版)

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ルーシャス・ヘンダーソン
Lucius Henderson
1912年10月
本名 ルーシャス・ジュリアス・ヘンダーソン
Lucius Julius Henderson
別名義 ルーシャス・J・ヘンダーソン
Lucius J. Henderson
生年月日 (1861-06-08) 1861年6月8日
没年月日 (1947-02-18) 1947年2月18日(85歳没)
出生地 アメリカ合衆国 イリノイ州アルド
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
職業 映画監督俳優
ジャンル サイレント映画
活動期間 1911年 - 1935年

ルーシャス・ヘンダーソンLucius Henderson, 1861年6月8日 - 1947年2月18日)は、アメリカ合衆国映画監督俳優である[1]。本名ルーシャス・ジュリアス・ヘンダーソンLucius Julius Henderson)、作品によってはルーシャス・J・ヘンダーソンLucius J. Henderson)とも名乗った[1]

人物・来歴

日本では文久4年にあたる1861年6月8日、アメリカ合衆国のイリノイ州アルドに「ルーシャス・ジュリアス・ヘンダーソン」として生まれる[1]

クラシック音楽の教育を受けた音楽家となるが、まだ20代であった1880年代に舞台俳優に転向する[2]。1891年(明治24年)に米国で公演したピアニスト・イグナツィ・パデレフスキを風刺するようなヴォードヴィルで各地を回るようなこともしている[2]

1910年(明治43年)、ニューヨークのタンハウザー・カンパニーに入社、俳優として映画に出演し始める[2]。1911年(明治44年)、「ルーシャス・J・ヘンダーソン」名義の名で監督した When Love Was Blind が記録に残る最古の監督作である[1]。1913年(大正元年)には、一座を引き連れてカリフォルニア州ロサンゼルスに移ろうとするが、すぐにニューヨークに戻っている[2]

1915年(大正4年)、ユニヴァーサル・フィルム・マニュファクチュアリング・カンパニー(現在のユニバーサル・ピクチャーズ)に入社する[2]。1916年(大正5年)にユニヴァーサル傘下に設立された製作会社・ブルーバード映画でも、同年、メアリー・フラーを主演に The Strength of the Weak を発表している[3]。1917年(大正6年)、メアリー・フラー主演の To the Highest Bidder を最後に監督業を引退している[1]

1920年代には、各製作会社で俳優として出演した[1]

1942年(昭和17年)、ラムズ・クラブの最古参会員として、晩餐会が開かれ、表彰されている[2]

1947年(昭和22年)2月18日ニューヨーク州ニューヨーク市で死去した[1]。満85歳没。

フィルモグラフィ

関連事項

  1. ^ a b c d e f g Lucius Henderson, Internet Movie Database (英語), 2010年4月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Lucius Henderson, allmovie (英語), 2010年4月19日閲覧。
  3. ^ 『ブルーバード映画の記録』 : 製作・著・発行山中十志雄・塚田嘉信、1984年4月、p.60-63.

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