ルーサー・パーキンスとは? わかりやすく解説

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ルーサー・パーキンス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 23:18 UTC 版)

ルーサー・モンロー・パーキンス(Luther Monroe Perkins、1928年1月8日 - 1968年8月5日)は、アメリカ合衆国カントリーミュージックギタリスト[1]

ジョニーキャッシュのバックバンドであるテネシー・スリーのメンバーである。

キャッシュの音楽で特徴的なリズミカルの「ブン・チカ・ブン」スタイルを作成した人物である。身長は181cm。

生涯

生い立ちと音楽キャリアの始まり

パーキンスは1928年8月5日にミシシッピ州コモに、バプテストの説教者の息子として生まれた。幼少の頃から音楽に興味を示し、独学でギターを学んだ。

パーキンスは、1953年メンフィスの自動車販売会社の整備士やラジオの修理士、電機製品として仕事を始めた。ジョニー・キャッシュの兄であるロイ・キャッシュは、ディーラーのサービスマネージャーであった。当時、ジョニーはアメリカ軍と共にドイツに駐留していた。

ある日、自動車の販売店で、後のバンドメンバーであるマーシャル・グラント(ベーシスト)、と出会い、2人は意気投合した。以降、パーキンスは仕事の休み時間の合間に一緒に演奏するようになった。

1954年に、ジョニーはドイツから戻った後、メンフィスに移った際、ロイはパーキンス、グラント、ホランドを紹介した。3人はその日の夕方、グラントの家に集まり、ヘイ・ポーター演奏した。そして、彼らは「ジョニー・キャッシュ&テネシー・トゥー」を結成した。パーキンスは中古のフェンダー・エスクワイヤーを購入した。

突然の死

1968年8月3日早朝、パーキンスは趣味の釣りを終えて、テネシー州ヘンダーソンヴィルにある自宅に帰った。家族によると、パーキンスは火のついたタバコを持ってリビングルームで寝てしまった。が6時頃に目を覚ますと、リビングルームが燃えているところを発見し、パーキンスはドアの近くで倒れていて意識不明の状態で発見された。救急隊員がパーキンスをヴァンダービルト大学病院へ運び、集中治療を受けたが、亡くなった。40歳だった。

パーキンスは、ヘンダーソンヴィル記念公園にジョニー・キャッシュとジューン・カーター・キャッシュの墓の近くに埋葬された。

「ブン・チカ・ブン」スタイル

パーキンスは、4~6弦をミュートして、1~3弦をスクラッチするという演奏法であり、実際に「フォルサム・プリズン・ブルース」 や「ビッグ・リヴァー」などで聴くことができる。

エピソード

  • パーキンスは、ステージでは簡潔で集中的な態度でよく知られていた。そのためか、ジョニーに「こいつは生きているのかも分からない」と冗談を言われたこともある。
  • あだ名は「LM」だった。(ルーサー・モンローのイニシャル)
  • 名字がカール・パーキンスと一緒だが、関係は一切ない

脚注

  1. ^ Luther Perkins, Soundunwound: The Personal Music Encyclopedia, http://www.soundunwound.com/music/luther-perkins/234267 2011年2月5日閲覧。 

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