ルイーズ・カトリーヌ・ブレスラウとは? わかりやすく解説

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ルイーズ・カトリーヌ・ブレスラウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/06 10:39 UTC 版)

ルイーズ・カトリーヌ・ブレスラウ
Louise Catherine Breslau
自画像 (1891年)
生誕 1856年12月6日
ミュンヘン
死没 1927年5月12日
パリ[1]
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ルイーズ・カトリーヌ・ブレスラウ作「化粧」 (1898)

ルイーズ・カトリーヌ・ブレスラウ、ドイツ名、マリア・ルイーゼ・カタリナ・ブレスラウ(Louise Catherine Breslau 、ドイツ名: Maria Luise Katharina Breslau、1856年12月6日 - 1927年5月12日)はドイツ生まれの画家で、スイスで育ち、フランスで画家として活動した。

略歴

ミュンヘンで生まれた。父親は産科、婦人科の医学者で、父親がチューリッヒ大学の教授に招かれたためにスイスで育った。喘息の持病を持ち、入院生活の中で絵を描くようになった。父親の亡くなった後、喘息に良いと思われた、ボーデン湖近くの修道院で、生活し教育を受けた。修道院に長く滞在する間に芸術家になる決意をした。

チューリッヒの画家、フィッファー(Eduard Pfyffer)から絵を学んだあと、女性が画家になるためにはスイスを出てパリで本格的に学ぶ必要があると考え、1874年に母親とパリに移った。パリ国立高等美術学校は当時、女性の入学、外国人の入学を認めていなかったので、1876年から女性のためのクラスを開いた私立美術学校、アカデミー・ジュリアンに入学した[2][3]。当時ブレスラウは20歳であった。

アカデミー・ジュリアンで、才能はトニ・ロベール=フルーリーらの教授たちに注目され[4]、同じクラスで学び、後に修行時代からの「日記」が出版された女性画家マリ・バシュキルツェフの日記ではバシュキルツェフはブラスラウをライバルとして見ていたとしている[5]アイルランド人の女性画家であるセアラ・パーサーともアカデミーで知り合い、その後も生涯にわたって親しく交際する友人となった[6]。当時のフランスでもルイズ・アベマローザ・ボヌールメアリー・カサットシュザンヌ・ヴァラドンベルト・モリゾといった女性画家が知られていただけだった。

1879年にアカデミー・ジュリアンの女子学生として最初にサロン・ド・パリに肖像画を出展した[7]。パリにスタジオを開き、毎年サロンに出展した。詩人などの友人の肖像画を多く描いた。1880年にはブルターニュに滞在し、「写実主義」の画家、ジュール・ブルトンと知り合った。

1881年に名前をフランス風の「ルイーズ・カトリーヌ」とし、作品には「LCB」と署名した。美術批評の雑誌「ラ・ヴィ・モデルネ(La Vie Moderne)」に印象派の画家についての記事を寄稿し[7]、この雑誌で有名な文学者アルフォンス・ドーデはブレスラウの作品について何度か言及した。印象派の画家、マネに影響を受けた作品を1883年に制作した[8]

展覧会でブレスラウの作品は、大衆や批評家に好評で、パリの裕福な顧客から注文が得られるようになった。ロンドンやチューリッヒでも作品を展示し、1883年にジュネーブの美術館に作品が買い上げられた。

1897年にフランス政府にも作品を買い上げられ、現在、オルセー美術館に収蔵されている。1898年にはリトグラフの作品が美術雑誌「レスタンプ・モデルヌ」によって出版された。1889年のパリ万国博覧会の展覧会で金メダルを受賞した。

1890年に国民美術協会ジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌオーギュスト・ロダンらによって再興された時、184人の創立メンバーのうちマドレーヌ・ルメールと、たった2人の女性の創立メンバーとなった。

1900年のパリ万国博覧会ではスイスの展示の役員になり、展覧会では金メダルを受賞した。1901年にレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受勲した。1901年にスイス人画家フェリックス・ヴァロットンウジェーヌ・グラッセとともにパリで活動するスイス人画家のグループ展をチューリッヒとバーゼルで開いた。

第一次世界大戦が始まると、スイス国籍であったが、パリに留まり、出征する兵士たちの肖像画を家族のために描き、1917年に戦死した有名なパイロット、ジョルジュ・ギンヌメールの肖像画を描いた。戦後、健康状態は悪化したが1919年のサロンに参加した。1921年に回顧展が開かれた。1925年にチューリッヒでの展覧会に出席するためにスイスに帰国した。

1927年にパリで死去した。

作品

脚注

  1. ^ Archives de Paris 16e, acte de décès n°1004 (vue 11 / 31)
  2. ^ « Arsène Alexandre, critique d'art. "Louise C. Breslau" ».
  3. ^ Europa Press, « MADRID.-La exposición 'Amazonas del arte nuevo' reinvidica el papel de la mujer en la historia del arte moderno »
  4. ^ Marie-Jo Bonnet, Les Relations amoureuses entre les femmes
  5. ^ Ann Sutherland Harris et Linda Nochlin (trad. de l'anglais), Femmes peintres : 1550-1950, Paris, Éditions Des femmes, 1981, 366 p. (ISBN 2-7210-0208-2), p. 255.
  6. ^ O'Grady, John N. (2009年10月). “Purser, Sarah Henrietta”. Dictionary of Irish Biography. doi:https://doi.org/10.3318/dib.007532.v1. 2025年3月4日閲覧。
  7. ^ a b « Madeleine Zillhardt: Vivir sin Louise Breslau. » [archive], sur Madeleine Zillhardt (consulté le 8 décembre 2018).
  8. ^ Éditions Larousse, « Encyclopédie Larousse en ligne - Louise Catherine Breslau » [archive], sur www.larousse.fr (consulté le 17 décembre 2018).

参考文献

  • Arsène Alexandre, Louise C. Breslau, Paris, Rieder, 1928
  • René Édouard-Joseph, Dictionnaire biographique des artistes contemporains, tome 1, A-E, Art & Édition, 1930, p. 202-203
  • Madeleine Zillhardt, Louise-Catherine Breslau et ses amis, Paris, Éditions des Portiques, 1932.
  • Anne-Catherine Krüger, Die Malerin Louise Catherine Breslau (1856-1927) : Biographie und Werkanalyse beschreibender Œuvrekatalog des Gesamtwerkes, [s.l.] [s.n.], 1988
  • Anne-Catherine Krüger, Catherine Lepdor et Gabriel P. Weisberg, Louise Breslau de l'impressionnisme aux années folles, Skira ; Seuil, Musée cantonal des beaux-arts de Lausanne.
  • Karen Santschi-Campbell, The Swiss painter Louise Catherine Breslau (1856-1927) : “It is not allowed for a woman to paint as well as you”, [s.l.] [s.n.], 2000.
  • Jane R. Becker, Overcoming All Obstacles: The Women of the Académie Julian, Dahesh Museum, 1999
  • Marie-Jo Bonnet, Les Relations amoureuses entre les femmes, du XVIe au XXe siècle. Editions Odile Jacob, 1995.
  • Marie-Jo Bonnet, Les deux amies. Essai sur le couple de femmes dans l'art. Editions Blanche, 2000.
  • Elisabeth de Gramont (Elisabeth de Clermont-Tonnerre), Louise-Catherine Breslau et Degas, La Revue de Paris, n° 20, 1932. La réédition 2015 de l'ouvrage de Madeleine Zillhardt, Monsieur Edgar Degas, le publie en appendice dans Madeleine Zillhardt, Monsieur Edgar Degas, Paris, l'Échoppe, 2015, 47 p. (ISBN 978-2-84068-273-8, lire en ligne [archive]).
  • Robert de Montesquiou: «Un maître femme. Mademoiselle Breslau». Art et Décoration, 1904, 15, pp. 133-142
  • François Le Grix. Louise-Catherine Breslau et Degas. La Revue hebdomadaire. 26 mai 1928.



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