ルイ・ド・ロレーヌ_(1555-1588)とは? わかりやすく解説

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ルイ・ド・ロレーヌ (1555-1588)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/05 04:03 UTC 版)

ルイ・ド・ロレーヌ
ランス大司教、ギーズ枢機卿
大司教区 ランス
着座 1574年
離任 1588年12月24日
聖職
枢機卿任命 1578年
個人情報
出生 1555年7月6日
フランス王国、ダンピエール=アン=イブリーヌ
死去 1588年12月24日
フランス王国ブロワ城
両親 父:ギーズ公フランソワ
母:アンナ・デステ
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ルイ・ド・ロレーヌLouis de Lorraine, 1555年7月6日 - 1588年12月24日)は、フランスの聖職者。ギーズ公フランソワと妃アンナ・デステの三男として、ダンピエールで生まれた。ギーズ公アンリ1世、マイエンヌ公シャルルの弟。

生涯

1574年、叔父ロレーヌ枢機卿の死によって、後任のランス大司教となる。1578年には別の叔父であるルイの死後、グレゴリウス13世によって後継の枢機卿に選ばれ、ギーズ枢機卿と呼ばれた。後にはアヴィニョンでのローマ教皇全権大使とされた。

長兄のギーズ公アンリ1世と共にカトリック同盟側で活躍した。フランス王アンリ3世に疎まれ、兄共々ブロワ城でアンリ3世の近衛兵らによって暗殺英語版された。

庶子にルイ(Pr. de Phalsbourg)がおり、1621年にロレーヌ公フランソワ2世の娘アンリエットと結婚した。




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