ルイ・ド・ロレーヌ (1692-1743)とは? わかりやすく解説

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ルイ・ド・ロレーヌ (1692-1743)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 16:23 UTC 版)

ルイ・ド・ロレーヌ
Louis de Lorraine
ブリオンヌ伯
ランベスク公
5歳のランベスク公ルイと母ブリオンヌ夫人、トロワ英語版画、1697年頃
在位 1718年 - 1743年

出生 (1692-02-13) 1692年2月13日
死去 (1743-09-09) 1743年9月9日(51歳没)
配偶者 ジャンヌ・アンリエット・ド・デュルフォール
子女 本文参照
家名 ギーズ家
父親 ブリオンヌ伯アンリ・ド・ロレーヌ
母親 マリー・マドレーヌ・デピネー
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ルイ・ド・ロレーヌLouis de Lorraine, prince de Lambesc, 1692年2月13日 - 1743年9月9日)は、ブルボン朝時代フランスの大貴族家門ギーズ家の一員。ブリオンヌ伯及びランベスク公であり、後者の称号を使用した。

生涯

ブリオンヌ伯アンリと妻マリー・マドレーヌ・デピネーの間の長男。スペイン継承戦争中の1709年、マルプラケの戦いに叔父のシャルルとともに参加し、敵将オイゲン・フォン・ザヴォイエンに捕らえられたが、すぐに解放された。1712年アンジュー州知事に着任、1719年陸軍の旅団長となる。デュラ公爵ジャック・アンリ・ド・デュルフォール英語版元帥の孫娘ジャンヌ・アンリエット・ド・デュルフォールと結婚、間に6子をもうけた。

  • ジャンヌ・ルイーズ(1711年 - 1772年) - 「ランベスク姫(Mademoiselle de Lambesc)」
  • アンリエット・ジュリエンヌ・ガブリエル(1722年[1] - 1761年)- 1739年第3代カダヴァル公爵ジャイメ・アルヴァレシュ・ペレイラ・デ・メロと結婚
  • ルイーズ(1724年 - 1747年) - 1745年トゥルン・ウント・タクシス侯アレクサンダー・フェルディナントと結婚
  • ルイ・シャルル(1725年 - 1761年)
  • フランソワ=カミーユフランス語版(1726年 - 1788年) - ジュミエージュ修道院長、サン・ヴィクトル・ド・マルセイユ修道院長
  • アンリエット・アガート・ルイーズ(1731年 - 1756年)

引用・脚注

  1. ^ Unknown (1744) (French). L'Etat de la France. Paris. p. 498. https://play.google.com/books/reader?id=MlHk9w0WSmAC&pg=GBS.PA497 2020年7月4日閲覧。 
先代
ルイ
ブリオンヌ伯
ランベスク公
1718年 - 1743年
次代
ルイ・シャルル



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