リチャード・バクストン (植物学者)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > リチャード・バクストン (植物学者)の意味・解説 

リチャード・バクストン (植物学者)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/14 07:49 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
リチャード・バクストン

リチャード・バクストン(Richard Buxton、1786年1月15日1865年1月2日)は、イギリスの靴職人、アマチュア植物学者である。独学の植物学者でマンチェスター労働者植物協会(Manchester Working Men's Botanical Society)の会長を務めた[1]

略歴

ランカシャーのプレストウィッチ教区の農民の家に生まれた。2歳の時父親は農園を離れ、マンチェスターで労働者となった。バクストンは病弱で、父親は貧しかったので教育を受けることが出来ず、野原で野草を摘むなどして過ごす少年であった。12歳の時、マンチェスターで子供靴の職人の見習いとなった。16歳まで読み書きができなかったが、"The Common Spelling Book"で読み書きを自習し、正しい発音を学ぶために "Jones Pronouncing Dictionary"を入手した。"A History of England" や Goldsmith's History of Greece and Romeを読むようになった。仕事は繁盛し、朝の6時から夜の9時まで働いたが余暇は読書に費やした。

18歳の時、最初の雇い主、ジェームズ・ヒープと働くようになり、ヒープは余暇にバクストンを、ハーブの採集に連れ出した。しばしば2人が知らない植物があったので、バクストンは何冊かのハーブの本を入手して読んだが、その内容に満足できなくなっていった。1808年にMeyrick's Herbalを購入し、リンネの分類法を学んだ。植物に関する本をできるだけ、買ったり借りたりして読むようになった。植物を採集して、乾燥標本を作ることは好まず、友人と植物の観察記録をつくることを楽しんだ。「植物学の研究はお金にならないけれど、自分の健康に有益で、幸福な気持ちにしてくれる」と書いた。1926年にプレストウィッチ植物協会の会長であり、植物鑑賞会を主催する織物業者のホースフィールド(John Horsefield)と知り合い、しばしば植物観察旅行に参加するようになった。当時、ランカシャーの労働者階級にもアマチュア博物学者が増え、多くの地方の同好会が作られていた。ホースフィールドはバクストンを地方の植物学者たちに紹介し、その年何度も観察旅行を行った[2]。しばらく植物学から遠ざかった後、1833年にまた植物同好会に定期的に参加するようになり、同じ労働者階級の植物学者でヨークシャーアツモリソウを発見したクローサー(James Crowther)と知り合い、親友となり、イギリス各地のフィールドワークを行った。クローサーらと1840年にウッド(John Bland Wood)が編集して出版された「マンチェスターの植物」("Flora Mancuniensis")に協力し、コケ類の専門家として知られるようになった。キューガーデンの園長、ウィリアム・ジャクソン・フッカーにその能力を認められ、キューガーデンの標本館の助手として働くことを望まれたが実現しなかった[3]。フッカーからは多くの植物書を贈られた。マンチェスター労働者植物協会(Manchester Working Men's Botanical Society)の会長に任じられた[4]

62歳になった1849年に地方の植物学者の協力を得て、著書、"A Botanical Guide to the Flowering Plants, Ferns, Mosses and Algæ, Found Indigenous Within Sixteen Miles of Manchester"を出版した。出版の資金は地質学者のビニー(Edward William Binney)が準備した。マンチェスター地方の植物が網羅されて記述された。1959年に第2版が出版されるが、同年に出版されたグリンドン(Leopold Hartley Grindon)の"Manchester Flora" が出版されたこともあって、経済的な成功は得られなかった[3]

参考文献

  1. ^ Anon (1865). Berthold Seemann. ed. Journal of Botany, British and Foreign. III. Robert Hardwicke. p. 71 
  2. ^ Percy, John. Scientists in humble life; the artisan naturalists of South Lancashire. Manchester: Manchester Metropolitan University. http://www.hssr.mmu.ac.uk/mcrh/files/2013/01/mrhr_05i_percy.pdf 
  3. ^ a b Secord, Anne (2004), “Buxton, Richard (1786–1865)”, Oxford Dictionary of National Biography, Oxford University Press, http://www.oxforddnb.com/view/article/4246 2012年1月10日閲覧。  (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入)
  4. ^ “The Manchester Working Mens Botanical Society”. The Manchester Guardian. (1877年4月9日) 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「リチャード・バクストン (植物学者)」の関連用語

リチャード・バクストン (植物学者)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



リチャード・バクストン (植物学者)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのリチャード・バクストン (植物学者) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS