リチャード・エリオット_(1652-1685)とは? わかりやすく解説

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リチャード・エリオット (1652-1685)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 18:27 UTC 版)

リチャード・エリオット英語: Richard Eliot1652年4月22日洗礼 – 1685年12月22日埋葬)は、イングランド王国の軍人、政治家。1679年から1685年まで庶民院議員を務めたが、第一次王位排除法案に賛成票を投じた記録しかなかった[1]

生涯

ジョン・エリオットと妻オナー(Honor、旧姓ノートン(Norton)、1652年11月1日埋葬、サー・ダニエル・ノートン英語版の娘)の四男(兄のうち2人が早世したため、実質的には次男)として生まれ、1652年4月22日に洗礼を受けた[2]

四男だったため軍人になるものとされ、1676年にプリマスの駐留軍にエンサイン英語版(少尉)として入隊したが、ジョン・グリムズ(John Grimes)の殺害容疑で起訴されたため、1678年にはイギリス陸軍から引退することを余儀なくされた[1]。ただし、裁判自体は無罪放免か恩赦を受けたとされる[1]

1679年3月イングランド総選挙で父の手配を受けて、エリオット家の懐中選挙区であるセント・ジャーマンズ選挙区英語版から出馬、当選を果たした[3]。同年に第一次王位排除法案に賛成票を投じた後[1]、1679年10月イングランド総選挙と1681年イングランド総選挙で再選したが[3]、それ以降の議会活動は全くなかった[1]

生涯未婚のまま死去、1685年12月22日にセント・ジャーマンズ英語版で埋葬された。

出典

  1. ^ a b c d e Watson, Paula (1983). "ELIOT, Richard (1652-85), of Port Eliot, St. Germans, Cornw.". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月11日閲覧
  2. ^ Crisp, Frederick Arthur, ed. (1919). Visitation of England and Wales (英語). Vol. 13. pp. 122, 126.
  3. ^ a b Watson, Paula (1983). "St. Germans". In Henning, B. D. (ed.). The House of Commons 1660-1690 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年4月11日閲覧
イングランド議会 (en
先代
ジョン・エリオット
エドワード・エリオット
庶民院議員(セント・ジャーマンズ選挙区英語版選出)
1679年 – 1685年
同職:ダニエル・エリオット
次代
サー・トマス・ヒゴンス英語版
ダニエル・エリオット



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