ランビ指導者評議会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/25 09:05 UTC 版)
ランビ指導者評議会(ランビしどうしゃひょうぎかい、英語: the Rabi Council of Leaders and Elders)は、かつてフィジー領ランビ島を管轄していた移民コミュニティによる地方自治機関である[1]。1970年のバナバ人定住法(Banaban Settlement Act)に基づき設立されたが[2]、2013年6月にフィジーの軍事政権によって解散された[3]。2023年1月23日、フィジーの首相シティヴェニ・ランブカは、この評議会を再設立することを発表した[4]。
歴史
8名で構成される評議会は、ランビ島の4つの村からそれぞれ2名ずつの代表を出していた。評議会は自らの議長を選出し、また評議員の中から1名を選んで、キリバス議会にコミュニティ代表を派遣していた。これは、ランビ島民はフィジー国籍を有しているものの今なおキリバスのパスポートを保持しており、先祖の地であるバナバ島の正式な所有権を維持しているためである。現在のランビ島の長老の多くはバナバ島で生まれている。評議会の本部はフィジーの首都スバに置かれていた。
2006年1月、ランビ評議会がキオア島にあるツバル領ヴァイツプ島からの移民コミュニティによる同様の評議会と統合されることが発表された。フィジー北部管区長官ミシエリ・ナイヴァルは、1月23日に、内閣が1月15日に両島の評議会を統合する決定を下したことを明らかにし、両評議会の統合により両島は利益を得ることになると述べた。
評議会の最後の選挙は2009年4月に実施された[5]。2013年6月、フィジーの軍事政権の命令により評議会は解散された[3]。解散後、フィジー政府はランビ島への開発資金の提供を停止した[4]。
2024年2月、ランビ島に拠点を置く「バナバ人権擁護者ネットワーク(Banaban Human Rights Defenders Network、BHRDN)」は、フィジー首相府に対し、ランビ指導者評議会の選挙を実施するよう要請した。これに対してマノア・カミカミカ代行首相は、選挙を実施する意向はあると述べたものの、所管省庁からは具体的な時期は示されていないと回答した[6]。
ランビ島の「バナバ地方政府・市民社会作業部会(BLoGSC)」およびその他の団体も、ランビ指導者評議会を再建するための選挙の実施を求めるとともに、バナバ人共同体にとってより適切な制度とするため、1970年バナバ人定住法およびランビ島に適用される関連規則の改正を求めている[7]。
ランビ島指導者評議会における行政官
2023年、シティヴェニ・ランブカ政権は、ランビ指導者評議会の業務および財務を次回選挙に備えて整備するため、ジェイコブ・カルタケをランビ島行政官として3年間任命した。ジェイコブ・カルタケの任命は、1970年バナバ人定住法第6(C)(4)条に基づいて行われた。
- 「評議会が解散された場合……首相は、評議会の権限を付与された行政官を任命し、新たな評議会が選出されるまでの間、評議会の業務を管理させるものとする。」
この行政官による決定は物議を醸している。2023年8月、行政官はオーストラリアの企業センテックス(Centrex)と協定を締結し、バナバ島における残存リン鉱床の採掘可能性を判断するための調査活動に着手することとした[8]。しかし、採掘可能性の調査に対する許可に対して伝統的所有者たちから反対の声が上がったことを受け、行政官はこの協定を「保留」とした[9]。
2024年1月には第二の論争が発生した。行政官が発表した政策声明において、ランビ島を訪れる非バナバ人は地元警察に登録しなければならないとされたのである。これに対し、BHRDNは異議を唱え、「このような規制がフィジー憲法に抵触していないか疑問である」とし、さらに「行政官の役割が現在も存続しているのは、フィジー政府がラビ指導者評議会の選挙を怠っているためにほかならない」と批判した[10]。これに対し、行政官は「声明発表前にランビ島のコミュニティと協議を行った」と説明した[10]。また、ランビ出身の弁護士ジェイコブ・ラニヨンは、「この行政官の発言は長年にわたる方針の反映である」と述べている[11]。さらに、2013年に解散された正式なランビ指導者評議会に代わって活動している暫定評議会もこの政策を支持しており、2024年2月に発表されたプレスリリースにおいて以下のように述べている:
- 第一に、すべての非バナバ人訪問者がランビ島に歓迎されることを明確にしておくことが重要である。我々は自らのホスピタリティに誇りを持っており、善意を持つすべての非バナバ人をランビ島に歓迎する。
- 第二に、この非バナバ人訪問者の審査に関する方針は、常にランビ指導者評議会の特権であった。これまでも、そして今後も、評議会はこの審査手続きを用いて、善意を持つ訪問者のみを歓迎することを確保し続ける[12]。
出典
- ^ “Rabi | Office of the Prime Minister Fiji” (英語). 2020年11月1日閲覧。
- ^ “Banaban Settlement Act”. PACLII (1970年10月8日). 2023年1月31日閲覧。
- ^ a b “Rabi Island Council dissolved”. FBC News (2013年6月26日). 2023年1月31日閲覧。
- ^ a b “Fiji’s Prime Minister to appoint interim administrator for Rabi Island Council of Leaders”. PINA (2023年1月23日). 2023年1月31日閲覧。
- ^ “Fiji's Rabi Island hold council election”. RNZ (2009年4月27日). 2023年1月31日閲覧。
- ^ Tuilevuka (2024年2月2日). “Elect leaders council - No elections for 11 years in Rabi”. Fiji Times. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “The Displacement and Dispossession of Banaba: Justice for Rabi (Policy Brief)”. Clifford Chance, ICAAD, and the Banaba Local Government andCivil Society (BLoGSC) Working Group (2023年). 2024年3月30日閲覧。
- ^ Faa (2023年8月30日). “Australian company Centrex under fire from Banaban islanders displaced by past phosphate mines”. Australia Broadcasting Corporation - Pacific Beat. 2024年3月30日閲覧。
- ^ Simmons (2023年9月6日). “SA miner’s Pacific plans ‘on hold’ as islanders fight back”. Indaily. 2024年3月30日閲覧。
- ^ a b Wiseman (2024年1月31日). “Fiji official aims to ban visitors to Rabi Island”. Radio New Zealand. 2024年3月30日閲覧。
- ^ Wiseman (2024年2月1日). “Rabi Island visitor sign in an age old practice - Fiji lawyer”. Radio New Zealand. 2024年3月30日閲覧。
- ^ “Policy Statement of non-Banaban visitors to Rabi”. Rabi Council of Leaders (2024年2月1日). 2024年3月30日閲覧。
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