モーティマーズクロスの戦いとは? わかりやすく解説

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モーティマーズ・クロスの戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/28 03:17 UTC 版)

モーティマーズ・クロスの戦い

戦場跡に立てられた記念碑
戦争薔薇戦争
年月日1461年 2月2日
場所イングランド ヘレフォードシャーのウィグモア
北緯52度19分7秒 西経2度52分9秒 / 北緯52.31861度 西経2.86917度 / 52.31861; -2.86917
結果:ヨーク派の勝利
交戦勢力
ヨーク家 ランカスター家
指導者・指揮官
マーチ伯
サー・ウィリアム・ハーバート
サー・ジョン・ウェンロック
ペンブルック伯
ウィルトシャ―伯
サー・オウエン・テューダー 
戦力
4,000 4,000
損害
不明 ほぼ全滅
薔薇戦争
モーティマーズ・クロスの戦いの場所

モーティマーズ・クロスの戦い(Battle of Mortimer's Cross)は、薔薇戦争中の1461年2月2日、ヘレフォードシャーのウィグモア(Wigmore)近くで行われた戦闘。

前年12月のウェイクフィールドの戦いにおけるヨーク公リチャードの戦死に伴い、ヨーク派の指揮はヨーク公に継ぐ18歳になる長男マーチ伯エドワード(後の国王エドワード4世)が執っていた。エドワードは、ペンブルック伯ジャスパー・テューダーウィルトシャ―伯ジェームズ・バトラー指揮下のウェールズのランカスター軍が、ランカスター派主力軍と合流するのを阻止しようとした。

戦闘の結果はヨーク派の勝利で、ペンブルック伯らは逃走したが、ランカスター軍に参加していたオウエン・テューダー(ペンブルック伯の父)は捕われて処刑された。この勝利によって、エドワードの前に将来に向けた道が開けたといえる。

またこの戦闘の前、幻日が観測されたことも記録されている。ヨーク派が紋章に太陽をかたどったのは、恐らくこの幻日にちなんだものと思われる。

参考文献





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