マリー=シャルロット・ド・ラ・トレモイユとは? わかりやすく解説

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マリー=シャルロット・ド・ラ・トレモイユ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/18 14:43 UTC 版)

マリー=シャルロット、P・キーリアン英語版による銅版画
「幾何学の寓意」としてのマリー=シャルロット、H・ボーブランフランス語版による肖像画

マリー=シャルロット・ド・ラ・トレモイユMarie-Charlotte de La Trémoille, 1632年1月26日 トゥアール - 1682年8月24日 イェーナ)は、ブルボン朝時代フランスの貴族女性で、ドイツのザクセン=イェーナ公ベルンハルトの妻。

生涯

トゥアール公アンリ1世と妻マリー・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュの間の第4子・次女。両親は従兄妹同士で、共にオラニエ公ウィレム1世の孫である。ザクセン=ヴァイマル公ヴィルヘルムがフランスのルイ14世王に接近するため、四男ベルンハルトの妻をフランス宮廷から迎えたいと打診した。花嫁の選定は難航し、8か月の長期に渉ったが、プランス・エトランジェ(他国諸侯)の身分を持つラ・トレモイユ家[1]の息女マリー=シャルロットに決まった。2人の結婚式は1662年6月10日パリで行われた。新郎が23歳なのに対して、新婦は7歳年上の30歳だった。

夫妻はベルンハルトが分割相続で受け取ったイェーナの所領に住んだ。夫婦生活は不幸で、ベルンハルトはマリー=シャルロットと離縁して宮廷の侍女の1人で妾にしたマリー・エリーザベト・フォン・コスポートとの再婚を望むようになった。ベルンハルトに仕えるプロテスタント神学者や法曹は皆、公爵の離婚に正統な根拠を与えられないとして反対したため、ベルンハルトは1674年、イエズス会士アンドレアス・ヴィーガント(Andreas Wigand)の司式でマリー・エリーザベトとの婚礼を強行した[2]。これは君主の重婚事件として取り沙汰されたため、ベルンハルトはこの再婚を無効と宣言してマリー=シャルロットと和解した。和解の翌年の1675年、公爵夫妻は後継者となる男子を得た。

1678年に夫と死別した。1682年50歳で亡くなり、イェーナの市街教会(Stadtkirche)に埋葬された[3]

子女

夫との間に5子があった。

引用・脚注

  1. ^ Freiherr von Spanheim, Ézéchiel (1973). Emile Bourgeois. ed (French). Relation de la Cour de France. le Temps retrouvé. Paris: Mercure de France. pp. 121, 344–345. https://archive.org/details/relationdelacou00spangoog 
  2. ^ Morganatic and Unequal Marriages in German Law [retrieved 28 September 2014].
  3. ^ Saxe-Weimar-Eisenach line in: : Royaltyguide.nl Archived 2014-10-06 at the Wayback Machine. [retrieved 28 September 2014].

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