マリア・クリスティーナ・ムニョスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > マリア・クリスティーナ・ムニョスの意味・解説 

マリア・クリスティーナ・ムニョス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 07:17 UTC 版)

ラ・イサベラ女侯爵クリスティーナ、1860年頃
クリスティーナと母王太后

マリア・クリスティーナ・ムニョス・イ・ボルボンMaría Cristina Muñoz y Borbón, 1840年4月19日 マドリード - 1921年12月8日 マドリード)は、スペインの貴族。初代ラ・イサベラ女侯爵。スペイン女王イサベル2世の異父妹。

生涯

イサベル女王の摂政・母后マリア・クリスティーナ王太后とその再婚相手アグスティン・フェルナンド・ムニョスの間の第5子・三女としてマドリード王宮で誕生[1][2]。1847年姉イサベル女王により初代ラ・イサベラ女侯爵及び初代ラ・デエシージャ女子爵に叙爵された[3]

1860年10月20日、リュエイユ=マルメゾンで第8代カンポ・サグラド侯爵ホセ・マリア・ベルナルド・デ・キーロス・イ・ゴンサレス・デ・シエンフエゴスと結婚、間に3子をもうけた[1][2]

  • マリア・デ・ロス・デサンパラードス(1864年 - 1951年) - 初代サンタ・クリスティーナ女侯爵、1887年第3代カーサリエゴ侯爵アレハンドロ・トラベセド・イ・フェルナンデス=カーサリエゴと結婚
  • アナ・ヘルマーナ・ベルナルド・デ・キーロススペイン語版(1866年 - 1934年) - 初代アタルフェ女侯爵、1886年初代アンソラ公爵ルイス・デ・ヘスス・デ・ボルボンスペイン語版と結婚
  • ヘスス・マリア・ベルナルド・デ・キーロススペイン語版(1871年 - 1939年) - 初代キーロス侯爵、第9代カンポ・サグラド侯爵

なお、翌1861年には兄のタランコン公爵フェルナンドが、夫の姉妹と結婚している。夫は外交官となり、ロシア、トルコ、ギリシャ駐在特命全権公使を歴任した[4]

1921年、マドリード王宮にほど近いトゥトル通りスペイン語版の邸宅で死去[2][1]

スペイン教育・文化・スポーツ相を務めた政治家イニゴ・メンデス・デ・ビーゴ英語版は玄孫、スペイン・ブランド化戦略(マルカ・エスパーニャ)担当高等弁務官を務めた実業家カルロス・エスピノサ・デ・ロス・モンテロススペイン語版は曽孫にあたる。

引用・脚注




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  マリア・クリスティーナ・ムニョスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

マリア・クリスティーナ・ムニョスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



マリア・クリスティーナ・ムニョスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのマリア・クリスティーナ・ムニョス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS