マグダレーネ・フォン・ザクセンとは? わかりやすく解説

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マグダレーネ・フォン・ザクセン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/10/06 15:45 UTC 版)

ザクセン公女マグダレーネ、ルーカス・クラナッハ (父) 画、1520年頃

マグダレーネ・フォン・ザクセンMagdalene von Sachsen, 1507年3月7日 ドレスデン - 1534年1月25日 ベルリン)は、ドイツのザクセン公爵家(アルベルティン家)の公女で、ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム2世の最初の妻。夫の即位以前に死去し、選帝侯夫人にはなっていない。

ザクセン公ゲオルク(髭公)とその妻でポーランドカジミェシュ4世の娘であるバルバラの間の末娘として生まれた。両親によってカトリック信徒として育てられた。1524年11月6日にドレスデンにおいて、ブランデンブルク選帝侯世子ヨアヒムと結婚した。2人の結婚式は3000人の招待客と24人の諸侯が出席するという大変に豪華なものだった。花嫁の父による祝いの言葉は、花婿の叔父に当たるマインツ大司教アルブレヒト・フォン・ブランデンブルク英語版が代読した。

マグダレーネは1534年、27歳で死去した。悲惨な火災事故を目撃したショックが原因で寝込み、それが死期を早めたと言われる。翌1535年、ヨアヒム2世はマグダレーネの従妹にあたるポーランド王女ヤドヴィガを後妻に迎えた。

子女

夫との間に5男2女の計7人の子女をもうけた。

  • ヨハン・ゲオルク(1525年 - 1598年) - ブランデンブルク選帝侯
  • バルバラ(1527年 - 1595年) - 1545年、ブジェク公イェジ2世と結婚
  • エリーザベト(1528年 - 1529年)
  • フリードリヒ(1530年 - 1552年) - マクデブルク大司教
  • アルブレヒト(1532年 - 1532年)
  • ゲオルク(1532年 - 1532年)
  • パウル(1534年 - 1534年)

参考文献




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