マクシム・バグダノビッチとは? わかりやすく解説

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マクシム・バグダノビッチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 04:19 UTC 版)

マクシム・バグダノビッチ
Максім Багдановіч
ペンネーム «Максім Кніжнік», « マキシム・クニジュニック»
誕生 (1891-12-09) 1891年12月9日
ミンスク, ミンスク県, ロシア帝国 (現: ベラルーシ)
死没 1917年5月25日(1917-05-25)(25歳)
ヤルタ, タウリダ県, ロシア帝国 (現: ウクライナ)
職業 詩人, 作家, 文芸学者, 翻訳家
活動期間 1907-1917
ジャンル 韻文,詩
文学活動 印象主義, 象徴主義
ウィキポータル 文学
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マクシム・バグダノビッチ(英語: Maksim Bahdanovich、ベラルーシ語: Максім Адамавіч Багдановіч、1891年11月27日(ユリウス暦 12月9日) – 1917年5月12日)は、ベラルーシの詩人、作家、文芸学者、翻訳家。

生涯

1891年 ミンスクに住む科学者の一家に生まれた。1892年フロドナに引越すことに伴って結核で母親が死亡。

1896年 父親のアダム・バグダノビッチと共にロシア帝国ニジニ・ノヴゴロド市に引越し、そこでベラルーシ語で詩を書き始めた。

1907年 デビュー小説「ミュジーカ」("Музыка")が「ナーシャ・ニーヴァ」("Наша Нiва")というベラルーシ語の週刊新聞で初めて公開された。

1908年 ヤロスラヴリに引っ越した。1911年にギムナジウムを卒業し、ヤロスラヴリ学院法学部に入学した。そこで影響力のあるベラルーシ人作家と知り合う。学校を通いながら新聞社で勤めていて、多数の作品がベラルーシにもロシアにも出版され続けていた。1914年初頭には初めての詩集「ヴャノック」("Вянок")がヴィリニュスで出版された。

1917年に結核の治療のためクリミアに転居したが、病状の悪化し同年5月12日にヤルタで亡くなった。

ベラルーシ文学における地位

哲学的な思想や社会を始め、様々なテーマの詩を書き、ベラルーシ文学にとって新しい詩形を取り入れ、近代ベラルーシ語・近代ベラルーシ文学の作成者として呼ばれている最も有名な詩人の一人である。

作詞だけではなく、翻訳家としても活躍していた。ポール・ヴェルレーヌハインリヒ・ハイネアレクサンドル・プーシキンオウィディウスホラティウスなどの詩をベラルーシ語に翻訳し、ヤンカ・クパーライヴァン・フランコタラス・シェフチェンコの作品をロシア語に翻訳した。

作品リスト

「ヴャノック」 詩集. ヴィリニュス, 1913.

出典

Максім Багдановіч // Архівы Беларусі

Багдановіч Максім // Культуралогія: Энцыклапедычны даведнік / Уклад. Дубянецкі Э. — Мн.: БелЭн, 2003. ISBN 985-11-0277-6




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