ホセ・マリア・ベラスコ・ゴメス・オブレゴンとは? わかりやすく解説

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ホセ・マリア・ベラスコ・ゴメス・オブレゴン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/05 03:20 UTC 版)

ホセ・マリア・ベラスコ
José María Velasco
自画像
生誕 1840年7月6日
メキシコ、テマスカルシンゴ(Temascalcingo)
死没 1912年8月26日
メキシコ、メキシコシティ

ホセ・マリア・ベラスコ・ゴメス・オブレゴン(José María Velasco Gómez Obregón、1840年7月6日 - 1912年8月26日)はメキシコの画家である。一般的にホセ・マリア・ベラスコとして知られているが、同名の人物と区別するために、第二姓(母方の姓)ゴメス・オブレゴンを付けて呼ばれることもある。19世紀のメキシコの代表的風景画家である。

略歴

メヒコ州のテマスカルシンゴ(Temascalcingo)で5人兄弟の長男に生まれた[1]。1849年に家族とメキシコシティに移るが、その数か月後に父親はコレラのために亡くなった。衣料店で働きながら、学校で学び、美術の才能が認められて、支援者が現れ、1855年からメキシコシティの美術学校、アカデミア・デ・サン・カルロス(Academia de San Carlos)の夜間コースで学ぶことができた。アカデミーではイタリア出身の画家エウジェーニオ・ランデシオ(Eugenio Landesio: 1810–1879)の風景画の授業を受けた[2]。厳しい経済状況であったが1860年に、アカデミーで絵画コンクールが開かれ、奨学金を得ることができ修行を続けられた。

1868年から、アカデミーの教授になり、その年結婚した。1877年にエウジェーニオ・ランデシオがイタリアに帰国した後、風景画の教授を継いだ。

1874年と1876年のメキシコ全国美術展で金賞を受賞し、1878年のフィラデルフィア万国博覧会の展覧会に参加し、1889年のパリ万国博覧会には、展覧会に参加する芸術家の代表を務め、自らも多くの作品を出展し[2]、フランス政府からレジオンドヌール勲章(シュバリエ)を受勲した。1893年のシカゴ万国博覧会にも参加した。

晩年は心臓病を患ったが精力的に作品を描き続けた。1902年、アカデミーの教授職から退職した。1912年にメキシコシティで72歳で亡くなった。

1992年にメヒコ州トルーカにホセ・マリア・ベラスコ風景画美術館(Museo del Paisaje José María Velasco)が設立された。

作品

脚注

  1. ^ Museo, Soumaya (2005). Seis siglos de arte. Cien grandes maestros. Museo Soumaya. ISBN 9687794305.
  2. ^ a b Consejo Nacional para la Cultura y las Artes. «José María Velasco legó la creación del espacio pictórico mexicano.». Consultado el 27 de septiembre de 2014.

参考文献

  • James Oles, Mexican Art and Architecture. London: Thames & Hudson 2013,



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