ベルンハルト・ツア・リッペとは? わかりやすく解説

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ベルンハルト・ツア・リッペ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/29 01:30 UTC 版)

ベルンハルト
Bernhard
リッペ=ビースターフェルト家
リッペ侯子ベルンハルト、1909年頃

全名
出生 (1872-08-26) 1872年8月26日
ドイツ帝国
プロイセン王国ボンオーバーカッセル英語版
死去 (1934-06-19) 1934年6月19日(61歳没)
ドイツ国ミュンヘン
配偶者 アルムガルト・フォン・クラム
子女 ベルンハルト
アシュヴィン
父親 エルンスト・ツア・リッペ=ビースターフェルト
母親 カロリーネ・フォン・ヴァルテンスレーベン
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ベルンハルト・ツア・リッペBernhard Prinz zur Lippe, 1872年8月26日 - 1934年6月19日)は、ドイツの諸侯リッペ侯家の侯子で、プロイセンの軍人。最後のリッペ侯レオポルト4世の弟。

生涯

リッペ=ビースターフェルト伯家家長エルンストとその妻のヴァルテンスレーベン女伯カロリーネ英語版[注釈 1]の間の第3子、次男として生まれた。全名はベルンハルト・カジミール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・グスタフ・ハインリヒ・エドゥアルトBernhard Kasimir Wilhelm Friedrich Gustav Heinrich Eduard)である。

プロイセン陸軍に仕官し、最終階級は陸軍少将に至った。出生時の称号はリッペ=ビースターフェルト伯だったが、1905年に兄レオポルトがリッペ侯に即位したのに伴い、リッペ侯子に昇格した。

パーダーボルン駐屯の第8驃騎兵連隊に所属していた際、同僚ボード・フォン・エインハウゼン伯爵の妻アルムガルトと恋仲になり、アルムガルトは夫と離婚した。1909年3月4日、エルバードイツ語版においてアルムガルトと結婚し、間に2人の息子をもうけた。この結婚はリッペ侯家の家憲により貴賤結婚とされ、妻子はビースターフェルト伯爵(夫人)の称号を認められるに留まった。

1916年2月24日、兄レオポルト4世の裁可により、ベルンハルトの婚姻は対等結婚として追認され、妻子にはリッペ=ビースターフェルト侯子(侯女)の称号と諸侯家の殿下(Durchlaucht)の敬称が認められた[1]。2人の息子たちは、リッペ侯位継承権において最下位にあったが、この時の措置に伴って父に次ぐ順位に進んだ[2]

子女

妻との間に2人の息子をもうけた。

脚注

注釈

  1. ^ 在米プロイセン領事アルノルト・ハルバッハを外祖父に持ち、グスタフ・クルップとは従兄妹同士である。

出典

  1. ^ Almanach de Gotha (179th ed.). Justus Perthes. (1942). pp. 79 
  2. ^ Bernhard, een verborgen geschiedenis. Annejet van der Zijl. (2010). pp. 45 and 87 

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