ヘルマン・ソヨーとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ヘルマン・ソヨーの意味・解説 

ヘルマン・ソヨー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/06 07:25 UTC 版)

ヘルマン・ソヨー(Hermann Soyaux、1852年1月4日 - 1928年)はドイツの植物学者、探検家である。西アフリカを探検し、ドイツの殖民活動にかかわった。

略歴

現在のポーランドのヴロツワフで生まれた。園芸商で働いた後、ベルリンで植物学を学んだ。ドイツ・アフリカ協会(Deutsch Afrikanischen Gesellschaft)が資金を出して行われたパウル・ギュスフェルト(Paul Güssfeldt)のロアンゴ王国(コンゴにあった王国)の探検隊のメンバーに植物学者として選ばれた。1873年に行われた探検は上陸前に Tschinschoscho(現在のカビンダ)で船が難破し、内陸の探検は行えなかった。1875年にソヨーはアンゴラへ向かうことを命じられ、別の探検隊のパウル・ポッゲ(Paul Pogge)と合流した。ギュスフェルトの探検は後に、軍医のユリウス・ファルケンシュタインらが参加して、生きたゴリラを連れ帰るなどの成果を挙げた。

ギュスフェルトの探検が中止されるとヨーロッパに戻った後、『失われた地域』("Der verlorene Weltteil"、Berlin 1876)や『西アフリカから』 ("Aus Westafrika"、2巻、Leipzig 1879)などを発表した。1879年にハンブルクの商社の援助を受けて、西アフリカのガボン(リーブルビル)に行き、コーヒー農園を設立した。 1885年にドイツに戻り、ベルリンでドイツ植民クラブ(Deutschen Kolonialverein、後にドイツ植民協会に統合される)で働き、"Deutsche Arbeit in Afrika" (Leipzig 1888)を出版した。

1888年からブラジルへの移民事業にかかわり、リオグランデ・ド・スル州で働き、ポルト・アレグレに住んだ。

Soyauxは、植物の学名命名者を示す場合にヘルマン・ソヨーを示すのに使われる。命名者略記を閲覧する/IPNIAuthor Detailsを検索する。)

参考文献

  • Soyaux, Hermann. In: Brockhaus’ Konversationslexikon. Bd 15. 14. Aufl. Leipzig 1893–1897, S. 75–75.
  • Soyaux, 1) Hermann. In: Meyers Großes Konversations-Lexikon. 6. Auflage. Bd. 18, Bibliographisches Institut, Leipzig und Wien 1909, S. 633.
  • Soyaux, Hermann. In: Nordisk familjebok. Band 26. Zweite Auflage. Stockholm 1904–1926, S. 465-466 f. (schwedisch) (1917)





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ヘルマン・ソヨー」の関連用語

ヘルマン・ソヨーのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ヘルマン・ソヨーのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのヘルマン・ソヨー (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS