プジョー・201
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/28 04:18 UTC 版)
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| プジョー・201 | |
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| 概要 | |
| 製造国 | |
| ボディ | |
| ボディタイプ | 4ドアサルーン 他のボディタイプも存在する |
| エンジン位置 | フロントエンジン |
| 駆動方式 | 後輪駆動 |
| パワートレイン | |
| エンジン | 4サイクル4気筒エンジン |
| 車両寸法 | |
| ホイールベース | 2,470mm(97.2インチ) |
| 全長 | 3,800mm(149.6インチ) |
| 全幅 | 1,350mm(53.1インチ) |
| 全高 | 1,650mm(65.0インチ) |
| 車両重量 | 890kg(1,962ポンド) |
| 系譜 | |
| 先代 | プジョー・タイプ190 |
| 後継 | プジョー・202 |
プジョー・201(Peugeot 201 )はプジョーが1929年から1937年にかけて製造・販売していた乗用車である。
概要
201はスイス国境近くのソショー工場で製造された。プジョーは1886年にはガソリン車を製造していたが、プジョー初の量産車はこの201である。[1]
201は1929年のウォール街大暴落を受けて、同年のパリモーターショーで発表された。当時存在していたヨーロッパの自動車メーカーの多くはその後起きた世界恐慌の影響で生き残れなかったが、プジョーは安価な車として発売した201のお陰もあって経済危機を乗り越えることができた。1930年代、プジョーはエンジンの容量を拡大したいくつかのバリエーションを発売した。 201の発売当初は最高出力23PS(17kW)/3,500rpmで最高速度80km/h(50mph)の排気量1,122ccのエンジンを搭載していた。その後排気量を1,307ccに拡大したモデルが発売され、最高出力35PS(26kW)の排気量1,465ccのエンジンを搭載したモデルも発売された。他にも商用車モデルやサルーンなどを販売していた。
201は日本にも輸入されており、群馬県高山村にあるロックハート城には、日本で唯一動態保存されている1931年製の201が展示されている。[2]
ネーミング
201の前身であるタイプ190はプジョーが開発した190番目のモデルであることからこう呼ばれていた。しかし、当時「タイプ190」という名称を知っている顧客はほとんどおらず、同社のパンフレットにも「La 5CV Peugeot」と書かれていた。
タイプ190の後継として201が発表された際、中央に”0”を入れたナンバリングシステムを初めて採用した車となった。その後、このルールを受け継ぎ301や401等のモデルが発表された。
参照
関連項目
外部リンク
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