ブヤル・ニシャニとは? わかりやすく解説

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ブヤル・ニシャニ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/24 10:09 UTC 版)

ブヤル・ニシャニ
Bujar Nishani

2016年、コソボを訪問した際のブヤル・ニシャニ

任期 2012年7月24日2017年7月24日
首相 サリ・ベリシャ
エディ・ラマ

任期 2011年4月25日2012年6月12日
首相 サリ・ベリシャ
任期 2007年3月20日2009年9月17日
首相 サリ・ベリシャ

アルバニア
司法相
任期 2009年9月17日2011年4月25日
首相 サリ・ベリシャ

出生 (1966-09-29) 1966年9月29日
アルバニアドゥラス
死去 (2022-05-28) 2022年5月28日(55歳没)
ドイツ
政党 アルバニア民主党
出身校 スカンデルベグ軍事大学
ティラナ大学
配偶者 オデタ・ニシャニ
子女 エルシ、フィオナ
宗教 イスラーム

ブヤル・ファイク・ニシャニアルバニア語: Bujar Faik Nishaniアルバニア語発音: [buˌjaɹ niˈʃani]1966年9月29日 - 2022年5月28日)は、アルバニアの政治家。2012年7月より同国大統領を1期務めた。それ以前はアルバニア民主党所属の国会議員で、内相を務めていたが、大統領選へ立候補するにあたり全ての役職を辞任した。国会で行われた選挙で、140票のうち73票の単独過半数を得て当選した。

経歴

ドゥラスに生まれる。1988年、スカンデルベグ軍事学院を卒業。1996年に渡米し、テキサス州サンアントニオカリフォルニア州で学業に励んだ。2004年、ティラナ大学法学部を卒業。欧州研究で修士号を取得した[1]。ニシャニは運動器官の障害で左半身を動かすことができないため、大統領の職務に耐えうる身体能力があるかどうか、議論がある[2]

共産主義体制崩壊後の1991年、アルバニア民主党に入党。国防省に対外関係の責任者として勤めた後、外務省のNATO関係局長となった。1996年、国防相に任命された[1]

民主党が敗れた1997年の議会選で失職し、NGOの代表となった。2001年、ティラナの民主党支部事務局長に選ばれ[要説明]、2004年にはティラナ市議会議員になった[1]

2005年の選挙では首都の第34選挙区で警察・治安相のイグリ・トスカを破り、当選を果たした。国会の国家安全保障委員長を経て、サリ・ベリシャ首相から内相に抜擢され、再選後の2009年9月には司法相に指名された[1]。2011年、ルルジム・バシャに代わって再び内相となった[3]

大統領当選後の2012年6月12日、内相を辞任した[4]。2017年7月24日をもって1期で退任。

以前から肺に感染した自己免疫疾患に苦しんでいたニシャニは新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)に感染した際に病状が悪化。2022年5月28日、療養先のドイツの病院で死去した[5][6]。55歳没。

人物

オデタ・ニシャニと結婚し、二児をもうけた。

脚注

外部リンク

公職
先代
ゲルギ・レジャ
代行
内相
2007年 – 2009年
次代
ルルジム・バシャ
先代
エンケレイド・アリベアイ
司法相
2009年 – 2011年
次代
エドゥアルド・ハリミ
先代
ルルジム・バシャ
内相
2011年 – 2012年
次代
フラムル・ノカ
先代
バミル・トピ
大統領
2012年 - 2017年
次代
イリール・メタ



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