フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)の意味・解説 

フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/29 06:06 UTC 版)

フリードリヒ2世
Friedrich II.
ブランデンブルク選帝侯
在位 1440年 - 1470年

出生 (1413-11-19) 1413年11月19日
神聖ローマ帝国
ブランデンブルク辺境伯領、タンガーミュンデ
死去 (1471-02-10) 1471年2月10日(57歳没)
神聖ローマ帝国
ブランデンブルク辺境伯領、ノイシュタット・アン・デア・アイシュ
埋葬 神聖ローマ帝国
ブランデンブルク辺境伯領ハイルスブロン修道院
配偶者 カタリーナ・フォン・ザクセン
子女 ドロテア
マルガレーテ
ヨハン
エラスムス
家名 ホーエンツォレルン家
父親 フリードリヒ1世
母親 エリーザベト・フォン・バイエルン
テンプレートを表示
フリードリヒ2世

フリードリヒ2世(Friedrich II., 1413年11月19日 - 1471年2月10日)は、ブランデンブルク選帝侯(在位:1440年 - 1470年)。フリードリヒ1世下バイエルン=ランツフート公フリードリヒの娘エリーザベトの次男。ヨハン錬金術伯の弟、アルブレヒト・アヒレスの兄。自領の統治に専念し、ベルリンの抵抗を排除し手に入れたその強い意志から、鉄歯侯と呼ばれる[1]

生涯

1440年に父が死去した際、兄ヨハンが錬金術に熱中し政治的に無能であったため、次男であったが選帝侯位を継承した[2]1443年ベルリン新宮殿を建設したが、これに反対する住民の反乱を鎮圧、1451年にこの宮殿に入った。背景には、中央集権を進めるフリードリヒ2世と特権の剥奪を恐れた市民の対立もあったとされる。1470年に退位、弟のアルブレヒト・アヒレスに選帝侯位を譲り、1年後に死去した。

1421年ポーランド王ヴワディスワフ2世の娘ヤドヴィガと婚約したが、1431年にヤドヴィガが死去したため話は立ち消えとなった。1441年ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の娘カタリーナと結婚した。2男2女が生まれたが、息子はいずれも成人に達せず早世したため、弟アルブレヒト・アヒレスが相続人となった。

脚注

  1. ^ 岡地、付録p. 56
  2. ^ 岡地、付録p. 64

参考文献

  • 岡地稔 『あだ名で読む中世史』 八坂書房、2018年
先代
フリードリヒ1世
ブランデンブルク選帝侯
1440年 - 1470年
次代
アルブレヒト・アヒレス



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)」の関連用語

フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS