フランティセック・クプカとは? わかりやすく解説

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フランティセック・クプカ

(フランチシェク・クプカ から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 22:55 UTC 版)

フランティセック・クプカ
František Kupka
誕生日 1871年9月23日
出生地 オーストリア=ハンガリー帝国, オポチノ
死没年 1957年6月24日
死没地 フランス, ピュトー
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サイン
1912年のサロン・ドートンヌ。左前からジョセフ・シサキ英語版Groupe de femmes英語版」、アメデオ・モディリアーニ「sculptures」(彫刻作品)、左後から、フランティセック・クプカ「Amorpha, Fugue in Two Colors」、フランシス・ピカビア「La Source」、ジャン・メッツァンジェDancer in a Café英語版アンリ・ル・フォーコニエ「Mountaineers Attacked by Bears」

フランティセック・クプカまたはフランチシェク・クプカ(František Kupka, 1871年9月23日 - 1957年6月24日)は、20世紀の画家。抽象絵画・非具象絵画の最初期の作家の1人。遅くとも、1911年から1912年にかけて制作された抽象作品が存在する。フランチセック・クプカと表記する場合もある。

略歴

オーストリア=ハンガリー帝国領東ボヘミア(現チェコ)のオポチノに生まれ、パリ郊外のピュトーにて没する。

1917年のクプカ

ウィーンの美術アカデミーで学ぶ。初期には、幻想的な具象絵画を制作している。その後パリに移り、具象絵画から、キュビスムの影響を受けて次第に抽象化が進み、1911年から1912年ごろには完全な抽象絵画に至った。1910年代、1920年代は、カラフルで有機的な抽象作品であったが、1931年には、アプストラクシオン・クレアシオン英語版の主要メンバーともなり、1930年代には、幾何学的傾向が強まっていった。

一般に、オルフィスムの画家に分類されることが多い。

ギャラリー

日本における主要な展覧会

日本語の主要文献

  • 愛知県美術館編集「クプカ展 Frantisek Kupka」、愛知県美術館、1994年(上記展覧会の展覧会カタログ)[1]

脚注

関連項目





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