フランス・クリダとは? わかりやすく解説

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フランス・クリダ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/26 14:44 UTC 版)

フランス・クリダ
生誕 (1932-11-22) 1932年11月22日
出身地 フランスナント
死没 (2012-05-17) 2012年5月17日(79歳没)
学歴 パリ音楽院
ジャンル クラシック音楽
職業 ピアニスト
担当楽器 ピアノ

フランス・クリダ(France Clidat、1932年11月22日 - 2012年5月17日[1])は、フランスピアニストフランツ・リストの演奏家として世界的に知られる。また、エリック・サティの全ピアノ作品を録音している。

来歴

ナントで生まれる。1948年、15歳の時にジェノヴァで、アンリ・ソーゲの《ピアノ協奏曲イ短調》を、エルネスト・アンセルメの指揮で演奏してデビュー[2]パリ音楽院ではラザール・レヴィロラン=マニュエルなどに師事し[2] 、1950年に一等賞で卒業[3] 。その後エミール・ギレリスなどの下で研鑽を積んだ[4]

1956年に、フランツ・リスト国際コンクール(現在のブダペスト国際音楽コンクール)に出場し、同コンクールでは19年ぶりとなるフランツ・リスト賞を受賞[5]。以後、活躍の場を世界へと広げることとなる。パリシャンゼリゼ劇場でのリサイタルを聴いた評論家のベルナール・ガヴォティは、『ル・モンド』紙のコンサート評で、クリダを「マダム・リスト」と讃えた[4] 。やがて彼女は、モニク・アースセシル・ウーセロベール・カサドシュフィリップ・アントルモンらとともに、「フランス・ピアノ楽派」の代表的存在と目されるようになった[6]。既に先代の女流のリスト弾きにはエディト・ファルナディがいたが、ファルナディが急逝したため1970年代以降は二代目の女流リスト弾きとして知られることになった。

1960年代後半から70年代にかけて、クリダはリストのピアノ曲の全集企画に取り組む[5]。この企画では最終的に24枚のアルバムが製作され、その中には《メフィスト・ワルツ3番・4番》、《華麗なマズルカ》、《2つのチャールダーシュ》、《スケルツォと行進曲》など、数多くの作品の初録音も含まれていた[5] 。彼女は後に同作品集によって、ACCディスク大賞とヨーロッパ・ディスク大賞を受賞している。

リスト以外の作曲家では、エリック・サティのピアノ曲全集をリリースした[4]他、ラフマニノフグリーグ[3]ショパン[7]チャイコフスキー[8]ランドスキ[4]などの作品もレコーディングしている。

クリダは後進の指導にも力を注ぎ、パリエコールノルマルで長年教鞭を取った[3] 。また、フランツ・リスト国際コンクールなどで審査員をつとめた[9]

2000年に公開されたカナダ映画『渦』では、クリダが演奏したグリーグの《ピアノ協奏曲》の第2楽章が使われている[10]

栄典

クリダは1976年にフランス芸術文化勲章、87年には国家功労勲章を受章した[3]。彼女はまた、レジオンドヌール勲章、パリ市ヴェルメイユ・メダルも授与されている[11]

脚注

外部リンク




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