フセスラフミクリチとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フセスラフミクリチの意味・解説 

フセスラフ・ミクリチ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/25 07:59 UTC 版)

フセスラフ・ミクリチ
Всеслав Микулич
ロゴジュスク公
在位 ? - 1186年以前

死去 1186年以前
家名 リューリク家
父親 ミクラ・ダヴィドヴィチ
テンプレートを表示

フセスラフ・ミクリチ(ニコラエヴィチ)ロシア語: Всеслав Микулич (Николаевич)、? - 1186年以前)は、リューリク朝、ポロツク・イジャスラフ家(ru)出身の公(クニャージ)である。史料上、ロゴジュスク公として最初に言及されている人物である[1]

概要

フセスラフの出自は明らかではない。父ミクラの名は、フセフラフの父称から割り出されたものであり、ポロツク公ダヴィドの孫にあたるのではないかと推測されている。

1180年、他のポロツク・イジャスラフ家の諸公と共に、チェルニゴフ公スヴャトスラフに助成して、スモレンスク公ダヴィドと戦ったことが記されている[2]

フセスラフのその後は明らかではないが、『イパーチー年代記』の1186年の項には、ヴァシリコ・ヴォロダレヴィチという人物がロゴジュスク公として言及されている。

出典

  1. ^ Алексеев, 1966, с. 76.
  2. ^ 中澤敦夫, 吉田俊則, 藤田英実香「『イパーチイ年代記』翻訳と注釈(7) : 『キエフ年代記集成』(1172~1180年)」『富山大学人文学部紀要』第67巻、富山大学人文学部、2017年8月、260頁、CRID 1390572174762668032doi:10.15099/00017841hdl:10110/00017841ISSN 03865975 

参考文献

先代
ロゴジュスク公
? - 1186年以前
次代
ヴァシリコベラルーシ語版



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

フセスラフミクリチのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フセスラフミクリチのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフセスラフ・ミクリチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS