フィリップ_(プファルツ=ノイブルク公)とは? わかりやすく解説

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フィリップ (プファルツ=ノイブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/11 02:44 UTC 版)

フィリップ
Philipp
プファルツ=ノイブルク公
在位 1505年 - 1541年

出生 (1503-11-12) 1503年11月12日
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領ハイデルベルク
死去 (1548-07-04) 1548年7月4日(44歳没)
神聖ローマ帝国
プファルツ選帝侯領、ハイデルベルク
家名 プファルツ家
父親 ループレヒト・フォン・デア・プファルツ
母親 エリーザベト・フォン・バイエルン
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フィリップドイツ語:Philipp, 1503年11月12日 - 1548年7月4日)は、プファルツ=ノイブルク公(在位:1505年 - 1541年)。好戦公(der Streitbare)と呼ばれた。

生涯

フィリップは、ループレヒト・フォン・デア・プファルツ下バイエルン=ランツフート公ゲオルクの娘エリーザベトの間に末息子として生まれた。

帝国法およびバイエルン=ミュンヘン公との相続条約に抵触するにもかかわらず、下バイエルン=ランツフート公ゲオルクはバイエルン=ランツフートの土地を娘エリーザベトに譲渡しようとした[1]。これが1503年のランツフート継承戦争につながり、エリーザベトとその夫ループレヒトの軍が敗北した。1504年の秋にエリーザベトとループレヒトは立て続けに死去した。1505年のケルンにおける仲裁で、皇帝マクシミリアン1世は領土損失の補償として、下バイエルン領からプファルツ=ノイブルクとして知られる小領をエリーザベトの2人の息子に与えることを認めた。フィリップは兄オットー・ハインリヒとともにこの領土を統治した。

1529年、ウィーン包囲戦で2個連隊の先頭に立ってトルコ軍との戦いに勝利した[1]

1539年12月8日、フィリップはイングランド王ヘンリー8世の娘メアリー・チューダーから結婚の承諾を得るという希望を持って、イングランド宮廷を訪れた。この結婚計画は、皇帝に対抗するプロテスタントのドイツの諸侯と同盟を結ぶというヘンリー8世の計画の一部であった。2人は12月17日にハートフォード城で会い、そこでフィリップはメアリーに贈り物を贈り、キスをした。このような親密さから、2人は結婚するであろうと考えられ、イングランド宮廷の大多数は今後数か月以内に結婚式が行われると予想していた。

しかし、フィリップは後に領地に送り返され[2]、結婚計画は実現しなかった。しかし、フィリップはひるむことなく、さらに3回イギリスを訪問したが、一度だけしかメアリーに会うことができなかった。

フィリップは1548年に貧困の中、ハイデルベルクで死去した[1]

脚注

  1. ^ a b c Robert Salzer (1888), “Philipp, der jüngere Bruder des Kurfürsten Ottheinrich” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 26, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 18–27 
  2. ^ James Gairdner. Letters and Papers, Foreign and Domestic, Henry VIII, Volume 14 Part 2: August–December 1539, 1895.
先代
(新設)
プファルツ=ノイブルク公
1505年 - 1541年
次代
オットー・ハインリヒ



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