フィデル・バッサ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/07/22 00:36 UTC 版)
Jump to navigation Jump to searchこの名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はバッサ、第二姓(母方の姓)はサンターナです。 |
基本情報 | |
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本名 | フィデル・バッサ・サンターナ |
階級 | フライ級 |
身長 | 161cm |
リーチ | 178cm |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1962年12月18日(55歳) |
出身地 | マグダレーナ県エル・レテーン |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 24 |
勝ち | 22 |
KO勝ち | 15 |
敗け | 1 |
引き分け | 1 |
無効試合 | 0 |
フィデル・バッサ(Fidel Bassa Santana、男性、1962年12月28日 - )は、コロンビアのプロボクサー。マグダレーナ県エル・レテーン出身。元WBA世界フライ級王者。スピードに乗ったファイトを身上に、タイトルを6度防衛した。
来歴
マグダレラ県の貧しい家庭に生まれる。アマチュアで18勝2敗の戦績を残してプロに転向。1985年3月1日、ホルヘ・ルーゴを4回でKOし、7戦目にしてコロンビアのフライ級王座を獲得。同年6月21日にはレオナルド・バレデスを6回KO、中米フライ級チャンピオンとなっている。
1987年2月13日、巧者イラリオ・サパタの持つWBA世界フライ級王座に挑戦、老獪な王者を果敢に攻め、3対0の判定でコロンビア6人目の世界チャンピオンとなった。
同年4月25日、英国のデーブ・マコーリーの挑戦を受け、2度のダウンを奪われながらも後半に猛反撃、13回TKOで初防衛に成功した。8月15日には前王者サパタと再戦、12回引分けで辛くも王座を守る。
その後マコーリーの再挑戦を退けるなど通算6度の防衛に成功。しかし1989年9月30日、後に2階級制覇者となるヘスス・ロハスに12回判定で破れ、王座を失っで現役を引退した。
スタイル
身長163センチと小柄でアゴに弱点があったが、スピードのあるパンチとフットワークで果敢なラッシュ攻撃を見せ、試合巧者イラリオ・サパタをも攻略している。
通算戦績
24戦22勝(15KO)1敗1分
関連項目
外部リンク
前王者 イラリオ・サパタ |
WBA世界フライ級王者 1987年2月13日 - 1989年9月30日 |
次王者 ヘスス・ロハス |
固有名詞の分類
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