フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスの意味・解説 

フアン・パントーハ・デ・ラ・クルス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/02 22:53 UTC 版)

フアン・パントーハ・デ・ラ・クルス
Juan Pantoja de la Cruz
パントーハ・デ・ラ・クルス作「聖母の誕生」
生誕 1553年
バリャドリッド
死没 1608年10月26日
マドリード

フアン・パントーハ・デ・ラ・クルス(Juan Pantoja de la Cruz、1553年 - 1608年10月26日)はスペインの肖像画家である。 フェリペ2世フェリペ3世の宮廷画家を務め、多くの宮廷の人々の肖像画を描いた。

略歴

カスティーリャ王国バリャドリッドで生まれた。非常に若い時期にマドリードに移り、フェリペ2世の宮廷画家アロンソ・サンチェス・コエリョ(1531/1532-1588)の弟子になった。1587年に結婚し、1588年に、サンチェス・コエリョが亡くなると師匠の工房を継承した。1592年と1594年に後に国王になる皇太子時代のフェリペ3世の肖像画を描いた。1594年頃に描かれた黒いマントと帽子をかぶったフェリペ2世の肖像画も良く知られている。1596年にカスティーリャ王フェリペ2世の宮廷画家(Pintor de Cámara)の称号を得た。1598年にフェリペ2世が亡くなり、フェリペ3世が即位した後、宮廷の肖像画家となり、多くの王族、貴族の肖像画を残した。またフェリペ3世の王妃、マルガレーテ・フォン・エスターライヒの注文で宗教的な題材の作品も描いた。現在プラド美術館に収蔵されている『聖母の誕生』(El nacimiento de la Virgen、1603年作)のような宗教画には補助的な人物として、マルガレーテ・フォン・エスターライヒの母親とその娘たちが描かれている。天井画や静物画も描いたとされるが現存していない。

1601年から1606年の間、宮廷がバリャドリッドに移り、1606年に再びマドリードに宮廷が移るのに従って活動場所を変え、1608年にマドリードで没した。

作品

参考文献

  • Kusche, María, Juan Pantoja de la Cruz. Madrid: Castalia, 1964
  • Pérez Sánchez, Alfonso E. (1992). Pintura barroca en España (1600–1750). Madrid: Ediciones Cátedra. ISBN 84-376-0994-1.



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「フアン・パントーハ・デ・ラ・クルス」の関連用語

フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



フアン・パントーハ・デ・ラ・クルスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのフアン・パントーハ・デ・ラ・クルス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS