ファン・ホセ・グスマンとは? わかりやすく解説

ファン・ホセ・グスマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/29 00:50 UTC 版)

ファン・ホセ・グスマン
基本情報
本名 Juan Antonio Guzman
通称 リトル・フォアマン
階級 ライトフライ級
国籍 ドミニカ共和国
誕生日 (1951-08-21) 1951年8月21日
死没日 (2021-05-08) 2021年5月8日(69歳没)
〈遺体発見日〉
死没地 アメリカ合衆国 ニューヨーク
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 34
勝ち 26
KO勝ち 20
敗け 8
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ファン・ホセ・グスマン(Juan Jose Guzman、男性、1951年8月21日 - 2021年5月8日〈遺体発見日〉)は、ドミニカ共和国プロボクサーWBA世界ライトフライ級2代目王者。その強打で軽量級のジョージ・フォアマンを意味する「リトル・フォアマン」の異名をとった[1]

戦績

1973年1月20日、プロデビュー。デビュー以来22連勝を果たし、23戦目にKO負けで初黒星するものの、その後2連勝。

1976年7月2日ハイメ・リオスの持つWBA世界ライトフライ級(当時の名称はジュニアフライ級)王座に挑戦し、15R戦った末、判定で王座を獲得した。

1976年10月10日、日本の山梨学院大学体育館(現、同学校法人古屋記念堂)で具志堅用高との初防衛戦を行うが7回KO負けで王座陥落。

1977年11月19日に再起戦を行い判定勝ちを収めるものの、その後6連敗。6連敗目となる1982年7月2日の試合を最後に現役引退。

2021年5月8日アメリカ合衆国ニューヨークのアパートで孤独死しているところを発見された。死後数日が経過した状態での発見だったという[2]。69歳没。

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
ハイメ・リオス
WBA世界ライトフライ級王者

1976年7月1日 - 1976年10月10日

次王者
具志堅用高




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