パットライスとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > パットライスの意味・解説 

パットライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/22 14:20 UTC 版)

パットライス

  • ポン菓子、ドン菓子 - コメなどの穀物に圧力をかけた後に一気に開放することによってふくらませて作った駄菓子の一種。とんまめ、ぽっかん菓子、ばくだん、こめはぜとも呼ばれる。外国でも見られる食品であり、英語ではPuffed riceと呼ぶ。
  • パット・ライス (Pat Rice) - アーセナルFCで活躍した北アイルランド出身のサッカー選手。

パット・ライス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 18:07 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
パット・ライス
2015年のパット・ライス
名前
本名 パットリック・ジェームズ・ライス
Patrick James Rice
愛称 Pat
ラテン文字 Pat RICE
基本情報
国籍 イギリス 北アイルランド
生年月日 (1949-03-17) 1949年3月17日(73歳)
出身地 ベルファスト
選手情報
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1967-1980 アーセナル 397 (12)
1980-1984 ワトフォード 112 (1)
代表歴
1968-1979 北アイルランド 49 (0)
監督歴
1984-1996 アーセナル (ユースコーチ)
1996 アーセナル (暫定監督)
1996-2012 アーセナル (アシスタントコーチ)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

パトリック・ジェームズ・ライス MBEPatrick James Rice MBE1949年3月17日 - )は、北アイルランドベルファスト出身の元同国代表サッカー選手。元サッカー指導者。現役時代はアーセナルFCワトフォードFCでプレーし、ワトフォードで現役引退後は、主にアーセナルで携わる仕事をしていた。

クラブ経歴

アーセナル

パットが15歳のときから、アーセナルの下部組織の間で才能のある若手としてその名を知られていた。1967年、バーンリーFCとのカラバオ・カップでトップチームデビューを果たす。それからしばらくはトップチームでの出番は訪れなかったが、1970-71シーズン、当時右SBのレギュラーだったピーター・ストーリーが中盤へコンバートしたことによって、このシーズンからパットが右SBのスタメンとして起用されるようになり、チームはリーグFAカップのタイトルを獲得した。その後、アーセナルは降格の危機に瀕するなど、クラブは低迷期に突入するが、パットは安定した活躍を見せ、1977年、アラン・ボール・ジュニアがクラブを去ってから、パットはアーセナルのキャップテンを務めた。1978-79シーズンには、クラブの名勝負として名高いFAカップ決勝マンチェスター・ユナイテッドFC戦で2点目をアシストするなどタイトル獲得に貢献した。また、パットは過去にアーセナルで5度のFAカップ決勝進出という記録を保持しているが、そのうち、優勝を果たした試合はこの試合のみである。1980年、公式戦528試合出場13得点という記録を残してワトフォードFCへと移籍した。

ワトフォード

1980年、ワトフォードへと移籍したパットは加入初年度からチームのキャプテンを任される。1981-1982シーズンには1部昇格を果たし、1983-84シーズンにはクラブ史上初のFAカップ決勝進出の原動力となり、同シーズン現役引退。

代表経歴

北アイルランド代表では、FIFAワールドカップEUROの本大会出場経験はないが、1970年から代表を引退する1979年までの9年間、キャプテンとして代表をまとめた。

指導者経歴

ワトフォードで現役引退後、再びアーセナルへと戻り、1984年から1996年まで下部組織で若手選手の指導に携わり、1988年と1994年にはユースカップ優勝を果たし、教え子にはポール・マーソンレイ・パーラーなどがいた。1996年、当時アーセナルで監督を務めていたスチュワート・ヒューストンが解任され、次の監督までの中継ぎとして2週間ほど暫定監督の座に就いた。その後、監督に就任したアーセン・ヴェンゲルから直にアシスタントコーチに命じられ、2012年までヴェンゲルを支えた。パットとアーセナルの選手そして指導者といった関係は通算44年にも及んだ。また、クラブと別れを告げた理由として、癌と闘病するためと明かしている。

人物

  • 2012年5月13日、勇退を発表したパットは敵地で3-2と勝利をおさめたWBA戦後、選手によって抱えられ、ピッチを後にした。
  • 2013年2月13日、現役と指導者含めて44年間に及ぶアーセナルとフットボール界に貢献したことが認められ、大英帝国勲章を受賞した。

タイトル

クラブ

アーセナル
  • FAユースカップ : 1回 (1966年)
  • フットボールリーグ・ファーストディヴィジョン : 1回 (1970-71)
  • FAカップ : 2回 (1971年, 1979年)

個人

アーセナル
  • クラブ年間最優秀選手賞 : 1回 (1972年)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  パットライスのページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「パットライス」の関連用語

パットライスのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



パットライスのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのパットライス (改訂履歴)、パット・ライス (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS