ハーグ条約 (1661年)とは? わかりやすく解説

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ハーグ条約 (1661年)

(ハーグ講和条約 (1661年) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 15:19 UTC 版)

ハーグ条約(1661年)
署名 1661年8月6日
署名場所 ハーグ
締約国 オランダ海上帝国ポルトガル海上帝国
主な内容 オランダは賠償金を得る代わりに、オランダ領ブラジル英語版をポルトガルに割譲
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ハーグ条約(ハーグじょうやく、オランダ語: Vrede van Den Haag, ポルトガル語: Tratado da Haia)は、1598年に勃発したオランダ・ポルトガル戦争英語版ののち、1661年8月6日に締結された、オランダ海上帝国時代のネーデルラント連邦共和国ポルトガル海上帝国時代のポルトガル王国との間の二国間条約

条約により、オランダは16年間の分割払いで4百万レアル英語版の賠償金を得る代わりに、オランダ領ブラジル英語版をポルトガルに割譲した[1]

歴史

ポルトガル系ブラジル人は1648年の第一次グアララペスの戦い英語版と1649年の第二次グアララペスの戦い英語版で連勝し、領土を徐々に回復していった。さらに1652年に第一次英蘭戦争が勃発、オランダをさらに弱らせた。1654年1月にはオランダがポルトガルに降伏してタボルダ条約(Treaty of Taborda)を締結したが、これも暫定の停戦条約にすぎなかった。

そして、第一次英蘭戦争が終結すると、オランダは1654年5月にオランダ領ブラジルの返還を要求した。しかし、当時ホラント州法律顧問英語版を務めていたヨハン・デ・ウィットは通商が領土の維持より重要であるとして、強硬策に反対した。このため、1661年8月6日にハーグで締結された正式な講和条約ではブラジルが63トンの金と等値なお金で売却された。

また同条約では両国はお互いに宣戦せず、互いの領土と植民地に侵入したり、請求したりしないことを約束した。これによりオランダはティモール島から手を引いた。

脚注

  1. ^ Facsimile of the treaty: Articulen van vrede en Confoederarie, Gheslooten Tusschen den Doorluchtighsten Comingh van Portugael ter eenre, ende de Hoogh Mogende Heeren Staten General ...;

参考文献

  • Cabral de Mello, Evaldo, O Negócio do Brasil - Portugal, os Países Baixos e o Nordeste 1641-1669. Rio de Janeiro: Topbooks, 1998. ISBN 85-86020-76-1

関連項目



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