ハラルド・グロスコフとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 音楽家 > ミュージシャン > テクノミュージシャン > ハラルド・グロスコフの意味・解説 

ハラルド・グロスコフ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/04 05:00 UTC 版)

ハラルド・グロスコフ
Harald Grosskopf
ハラルド・グロスコフ(2011年)
基本情報
生誕 (1949-10-23) 1949年10月23日(75歳)
出身地 ドイツ ヒルデスハイム
ジャンル クラウトロックプログレッシブ・ロック、コズミック・ミュージック、電子音楽
職業 ミュージシャン
担当楽器 ドラムスキーボード
共同作業者 アシュラ
ヴァレンシュタイン
クラウス・シュルツェ
公式サイト www.haraldgrosskopf.de
テンプレートを表示

ハラルド・グロスコフ[1]Harald Grosskopf1949年10月23日 - )は、ドイツヒルデスハイム出身の音楽家である。

略歴

1971年にドイツで結成されたクラウトロック・グループのヴァレンシュタインの元ドラマー。1976年にリリースされたクラウス・シュルツェのアルバム『ムーンドーン』にも参加している。現在はソロ活動の他にマニュエル・ゲッチング & アシュラのドラマーとして、また元フードバンドのアクセル・マンリコ・ハイルヘッカーとのユニットであるサンヤ・ビートのメンバーとしても活動している。

2008年にはマニュエル・ゲッチング & アシュラ名義で来日し、テクノフェスティバルMETAMORPHOSEでライブを披露した。またライブ終了後のバックステージにて、美術家境貴雄によるポートレート作品『アズラー』のモデルとして、マニュエル・ゲッチングやスティーヴ・バルテスと共に撮影された。[2] ハラルド・グロスコフの公式サイトでは、境が撮影したポートレートが掲載されている。

ディスコグラフィ

ソロ・アルバム

  • 『シンセシスト』 - Synthesist (1980年)
  • Oceanheart (1986年)
  • Best Of Harald Grosskopf (1989年)
  • World of Quetzal (1992年)
  • Sprach Platz Sprache (1999年)
  • Digital Nomad (2002年)
  • Yeti Society (2004年)
  • Synthesist 2010 (2010年)
  • Re-Synthesist (2011年)
  • Naherholung (2016年)

脚注

外部リンク





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ハラルド・グロスコフ」の関連用語

ハラルド・グロスコフのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ハラルド・グロスコフのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのハラルド・グロスコフ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS