ハジ・モハマッド・ハシェム・ザマンとは? わかりやすく解説

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ハジ・モハマッド・ハシェム・ザマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/24 12:49 UTC 版)

ムハンマド・ハーシェム・ザマーニーパシュトー語: محمد هاشم زماني、Mohammad Hashem Zamani、1929年 - 2005年)は、アフガニスタンの政治家、ムジャーヒディーン

経歴

クナル州出身。パシュトゥーン人、サフィ部族。父ミール・ザマーニー・ハーンは、アマーヌッラー・ハーン国王の将軍。クナール・ハーンの末裔で、非公認ではあるがハーン位を継承している。

サフィ部族反乱の扇動の容疑で、ザーヒル・シャー国王の命令により捕らえられ、1950年代中盤~1960年代初めの13年間、刑務所に服役した。その後、脱獄し、ヘラートに隠れた。

1960年代中盤、恩赦され、カーブルに戻る。

1978年の四月革命後、アフガニスタン人民民主党政権と敵対し、ムジャーヒディーン部隊を組織し、1980年代初めには、アフガニスタン全土に展開した。ザマーニー自身も、ナンガルハール州でソ連軍の戦車を撃破したという。

アフガニスタン内戦時は、ターリバーンと敵対。1990年代中盤にフランスに亡命。

2001年10月、パキスタンペシャーワルに移り、ターリバーンとの武装闘争の開始を表明した。当時、ザマーニーは、ハーミド・カルザイアブドル・ハクと並んでアフガニスタンの新指導者の1人と見られており、北部同盟の多極化政策に反対し、連合政権とザーヒル・シャー国王の復位を支持していた。

2001年11月、パシュトゥーン人のジルガにより、ナンガルハール州の警備司令に選出。





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