ネルブとは? わかりやすく解説

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ネルブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/13 16:06 UTC 版)

ネルブ漢字:訥爾布、生没年不詳)は、那拉(ナラ)氏の出身で、外戚佐領であり、後に一等承恩公を追贈された。満洲正黄旗(もとは満洲鑲藍旗)の人で、乾隆帝の継皇后・那拉氏の父。世襲の正四品佐領職を担っていた。

乾隆15年(1750年)、その娘である那拉氏が皇后に冊立されると、ネルブもその功績により父として一等承恩公に追封された。

清実録・乾隆朝実録』によれば、乾隆15年に娘が皇后に立てられた際、孫の納蘇肯が一等侯爵の位を継承したことから、ネルブおよびその息子である訥礼はすでに亡くなっていたとされる。

官位に関する記録

『清実録』には次のように記されている:

「皇后の父・訥爾布(ネルブ)を追封して一等公とし、官を遣わして祭を行わせ、墓を築き碑を立てることは例による。妻には公妻一品夫人の称号を与える。またその孫・納蘇肯に一等侯爵を継がせる。」

雍正12年(1734年)に娘が嫁いだ際、ネルブは「原任佐領(元佐領)」と記録されており、この時点で佐領職を退いていたことがわかる。年齢は少なくとも60歳以上であったと推測される。

乾隆元年(1736年)には、皇帝が后妃の家族に恩賞を与えた際、ネルブはまだ存命であった。しかし乾隆13年(1748年)に皇后の家柄が「正黄旗」に格上げされた際の記録には、ネルブではなくその甥・納蘇肯しか記されておらず、彼の死は乾隆2年(1737年)から13年の間と推測される。

その他の記録によれば、ネルブにはもう一人娘がいた。彼女は、褚英の子である敬謹荘親王・ニカンの末裔で、すでに爵位を剥奪された奉恩輔国公・富増に嫁いだとされる。この娘は、皇后よりかなり年上であり、その息子(ネルブの孫)は皇后より7歳年上であった。

また別の孫娘が、貝勒・アミン(ヌルハチの従兄弟)の末裔であり、すでに退任していた奉恩将軍・色克に嫁いだ。

史料による記載

『清実録・乾隆朝実録・巻371』より

吏部上奏太僕寺卿の熊学鵬は規定違反をしており、例により罷免すべし。この者はかつて罷免留任の処分歴あり、よって再度罷免とする。少卿・衛廷璞も共に上奏しており、4階級降格の上、任用されることを許す。 皇后の父・訥爾布を一等公に追封し、官を派遣して祭礼を行い、墓を築き碑を立てること例により。妻には公妻一品夫人の称号を授け、孫の納蘇肯に一等侯爵を継がせる。」

『皇朝文献通考・巻250』より

「皇十子は舒妃葉赫那拉氏の子で、早世し名なし。

皇十一子・永瑆淑嘉皇貴妃金氏の子。
皇十二子・永璂、皇十三子・永璟はいずれも皇后那拉氏の子で、永璟は早世。
一等承恩公・訥爾布は満洲正黄旗の人であり、皇后・那拉氏の父。乾隆15年8月に追封される。

一等侯・納蘇肯は満洲正黄旗の人で、訥爾布の孫・皇后の甥。乾隆15年8月に封爵、乾隆30年6月に罪により爵位を剥奪される。」

『欽定八旗通志・巻16』より

「鑲藍旗満洲佐領:第三参領第一佐領は国初に輝発地方から帰順した民を編成して設置。莽庫により管理。以後、代々の管理者を経て、訥爾布の代になったが、病気で辞任。その 子・訥礼が継ぎ、後に訥蘇肯が継承。乾隆13年に正黄旗に昇格、乾隆31年に本旗に戻り、再び佐領とされる。」

『八旗満洲氏族通譜』より

「莽科は鑲藍旗人、王機砮の孫で、輝発地方に居住。初期に兄弟や隣人を率いて帰順し、佐領として編成。 孫の羅和は副都統、曾孫の羅多は護軍参領。訥爾布は元佐領。元孫(曾孫の子)の薩賚、四格、訥理はいずれも元佐領。四世孫の札拉芬も元佐領。68歳の時点でなお佐領職にあった。」

家族構成

  • 祖父:莽科
    • 父:羅和
      • ネルブ
      • 妻:郎佳氏
        • 息子:訥礼(元佐領
          • 孫:訥蘇肯(乾隆15年に一等侯に封じられ、乾隆30年に爵位剥奪)
        • 娘:富増の正室・那拉氏(皇后の姉)
        • 娘:継皇后那拉氏(乾隆帝の皇后)

登場作品

テレビドラマ

参考資料

  • 清史稿
  • 清実録
  • 『皇朝文献通考』
  • 『欽定八旗通志』
  • 『八旗満洲氏族通譜』



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