舒妃とは? わかりやすく解説

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舒妃

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/10 13:54 UTC 版)

舒妃 葉赫那拉氏

舒妃(じょひ、雍正6年(1728年7月7日) - 乾隆42年5月30日(1777年))は、乾隆帝の側室。姓は叶赫勒氏または葉赫那拉氏侍郎永綬の娘。康熙帝時代の大臣納蘭明珠の曾孫。ヌルハチの十二子でドルゴンの同母兄アジゲ(阿済格)は納蘭明珠の岳父で、高祖父にあたる。また、一説によると乾隆帝の重臣フヘンの正妻那拉夫人は舒妃の姉妹(傅恒の嫡子福康安の正妻ともされる)。

生涯

乾隆6年(1741年)、后妃選定面接試験「選秀女」を受けて合格し、貴人として入宮する。 同年、皇太后懿旨により、舒嬪に冊封された。

乾隆13年(1748年)、嫻皇貴妃那拉氏が皇后に立てられると、舒嬪は舒妃に冊封された。

乾隆16年(1751年)、舒妃は乾隆帝の第十皇子を産んだが、乾隆十八年(1753年)に夭折した。後、乾隆帝の九女和碩和恪公主を養女として育て、公主降嫁の際に舒妃の宮で結婚披露宴を挙げる。

乾隆30年(1765年)、継皇后那拉氏が断髪により、事実上皇后の座を追われると、舒妃が本来皇后の行う儀式である親蚕礼を代行した。

乾隆40年(1775年)、令皇貴妃が逝去すると、最高位の妃嬪となった。

乾隆42年(1777年)、逝去し、裕陵の妃園寢に葬された。

子女

  • 第十皇子:夭折

登場作品

伝記資料




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