ヌールッディーンとの同盟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 03:38 UTC 版)
「ムイーヌッディーン・ウヌル」の記事における「ヌールッディーンとの同盟」の解説
1146年、ザンギーが暗殺され、ダマスカスに近いアレッポのザンギー朝はザンギーの次男ヌールッディーン・マフムードが継承した。イブン・アル=アシールはこの際、以下のようなエピソードを伝えている。ウヌルはかつてある女奴隷を愛しており、彼女をバールベクに住まわせていた。1139年のザンギーのバールベク奪取の際、彼女はザンギーに捕らえられて連れ去られたが、ザンギーの死後ヌールッディーンは彼女をウヌルのもとへ送り返し、この一件によってウヌルはヌールッディーンに友誼を感じるようになったというのである。ただ、イブン・アル=アシールはこの話の最後に「(真実は)神のみぞ知り給う」と付け加えている。これが事実であるにせよそうでないにせよ、ヌールッディーンはダマスカスへ歩み寄りの姿勢を見せ、ウヌルはヌールッディーンと婚姻同盟を結ぶ。ウヌルは自分の娘イスマトゥッディーン・アーミナをヌールッディーンのもとへ嫁がせた。なお、彼女はヌールッディーンの死後にアイユーブ朝のサラーフッディーンと再婚することにもなる。
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