ニザーミー・アルーズィーとは? わかりやすく解説

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ニザーミー・アルーズィー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 00:05 UTC 版)

ニザーミー・アルーズィーペルシア語: نظامی عروضی‎、生没年不詳)は、西暦1110年から1161年にかけて活躍した詩人・散文家[1]。『四つの講話』の著者として知られる[1]。その他にも著作があったらしいが完全な形で残っているものは『四つの講話』だけである[1]ラカブはアブル・ハサン・ニザームッディーン、イスムナサブはアフマド・ビン・ウマル・ビン・アリー、ニスバはニザーミー・アルーズィー・サマルカンディー(Abu’l-Ḥasan Neẓām-al-­Dīn (or Najm-al-Dīn) Aḥmad b. ʿOmar b. ʿAlī Neẓāmī ʿArūżī Samarqandī)と伝わる[1]。アルーズィーは「韻律の扱いに巧みな人」程度の意味である。


  1. ^ a b c d e Ḡolām-Ḥosayn Yūsofī (15 December 1990). "ČAHĀR MAQĀLA". Encyclopædia Iranica. 2017年4月26日閲覧
  2. ^ Browne 1902, p. 337.
  3. ^ a b c Nizami Aruzi, A Revised Translation of the Chahár maqála ("Four discourses") of Nizámí-i'Arúdí of Samarqand, followed by an abridged translation of Mírzá Muhammad's notes to the Persian textpdf here”. 2017年4月26日閲覧。, Edward Granville Browne, ed. (London: for Cambridge University Press, 1921), x.
  4. ^ a b C. E. Bosworth, “Abedi,” Encyclopædia Iranica, I/2, p. 210; an updated version is available online at http://www.iranicaonline.org/articles/abedi-a-12th-century-landowner-dehqan-of-transoxania (accessed on 23 August 2012).
  5. ^ ニザーミー p. 277
  6. ^ 黒柳『ペルシア逸話集』解説 p. 324
  7. ^ Ashk Dahlén, Kingship and Religion in a Mediaeval Fürstenspiegel: The Case of the Chahār Maqāla of Nizāmi ʽAruzi, Orientalia Suecana, vol. 58, Uppsala, 2009.


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