ニコラオス・ギジスとは? わかりやすく解説

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ニコラオス・ギジス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 00:34 UTC 版)

ニコラオス・ギジス
Nikolaos Gyzis
Paulos Diomedesによる肖像画
生誕 1842年3月1日
ギリシャ,ティノス島
死没 1901年1月4日
ドイツ,ミュンヘン
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ニコラオス・ギジス(Nikolaos Gyzis、ギリシャ語表記: Νικόλαος Γύζης、ギリシャ語発音: [ni.'ko.la.os 'ʝi.zis]; 1842年3月1日1901年1月4日)は19世紀のギリシャの画家である。ミュンヘン美術院に学び、後にミュンヘン美術院の教授を務めた。

略歴

ティノス島のΣκλαβοχώριの大工の家の6人兄弟の1人に生まれた。家族とアテネに移り、アテネの美術学校に12歳の1854年から聴講生として学び始め、1864年まで学んだ。卒業間近かになって篤志家の好意により、ティノス島の修道会から奨学資金を得て、ミュンヘン美術院へ留学することができることになった。

1865年6月にミュンヘンに留学し、ギリシャから留学していて帰国間近のニキフォロス・リトラス(Nikiforos Lytras:1834-1904)と知り合い、ドイツの暮らしになじむことができた。ミュンヘン美術院ではアンシュッツ(Hermann Anschütz)やヴァーグナー(Alexander WagnerまたはSándor Wagner)に学び、1868年からはカール・フォン・ピロティの教室に属した。1871年に美術院を卒業し、1872年4月にアテネに帰国した。アテネの美術学校の教授となっていたリトラスと1873年に小アジアを旅したりしたが、ギリシャでの暮らしに失望し、1875年に再びミュンヘンに渡り、その後生涯、ミュンヘンに住むことになった。1876年にはリトラスとパリを旅し、1877年に結婚した。1880年にミュンヘン美術院の名誉会員になり、1888年に常任教授に任じられた。ギジスの教えた学生にはエルンスト・オップラー、オスヴァルト(Fritz Osswald)、マイ=リヒター(Anna May-Rychter)らがいる。

作品

参考文献

  • Οι Έλληνες Ζωγράφοι Α΄ τόμ, Εκδ.Γεώργιος Ραγιάς. Κείμενα: Γιάννης Χ.Παπαϊωάννου
  • Παναθήναια Α΄ τεύχ. 11, 15 Μαρτίου 1901 «Αφιέρωμα στον Νικόλαο Γύζη» σσ.403-40
  • Χρήστος Λάζος, «Νικόλαος Γύζης», Ιστορία Εικονογραφημένη,τχ.76 (Οκτώβριος 1974),σελ.96-105



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