ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャの意味・解説 

ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/15 23:25 UTC 版)

ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ
Narcisse Díaz de la Peña
生誕 1808年8月25日
フランス,ボルドー
死没 1876年11月18日
フランス,マントン
運動・動向 バルビゾン派
テンプレートを表示

ナルシス=ヴィルジール・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ(Narcisse Virgilio Díaz de la Peña、1808年8月25日 - 1876年11月18日)はスペイン人の両親を持つフランスの画家である。「バルビゾン派」を代表する画家の一人である。

略歴

ボルドーでスペインからの亡命者の両親の元に生まれた。父親はイギリスで没し、10歳までに母親も失った。さらに少年時代に森で毒蛇に足を噛まれ、治療に成功せず義足の生活を強いられることになった。15歳で、セーヴルの王立製陶所に雇われ、陶器の絵付けの仕事についた。絵付けの仕事の制約に不満を持ち、絵画に転じ、ジュール・デュプレらと共に油彩画を学んだ。初期には、華やかな衣装の婦人像やトルコや東洋風の題材の絵画を描いた。サロン・ド・パリに出展し、1834年にサロンで入選することになった。

人物画家として出発したが、「バルビゾン派」の画家、特にテオドール・ルソーを知ると、風景画を主に描くようになった。ルソーは、1831年のサロンに18歳で入選し、ディアズが入選した1834年のサロンでは、出展した絵画がオルレアン公の買い上げられる名誉を受けていた。しばらくしてルソーから樹木の描き方などの技術の指導を受け、4歳年下のルソーを唯一の師匠として生涯尊敬してゆくことになった。1837年にはフォンテーヌブローの森の風景画をサロンに出品し、バルビゾンに住むようになった。人気画家となり、1850年にはレジオン・ドヌール勲章を受勲した。

作品

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ」の関連用語

ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのナルシス・ディアズ・ド・ラ・ペーニャ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS