トリンバク・ラーオ・ダーバーデーとは? わかりやすく解説

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トリンバク・ラーオ・ダーバーデー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/04 09:06 UTC 版)

トリンバク・ラーオ・ダーバーデー(Trimbak Rao Dabhade, 生年不詳 - 1731年4月1日)は、インドデカン地方マラーター王国の軍総司令官(セーナーパティ)。

生涯

1729年9月27日マラーター王国の軍総司令官(セーナーパティ)カンデー・ラーオ・ダーバーデーが死亡し、1730年1月8日に息子であるトリンバク・ラーオ・ダーバーデーがその地位を継承した[1][2]

だが、父の地位を継承したトリンバク・ラーオは王国宰相バージー・ラーオに次第に反目し、ついにはグジャラートを自己の勢力範囲と見なして、ニザーム王国の援助を得て公然と反抗するようになった[2][3]

1731年4月1日、トリンバク・ラーオとバージー・ラーオの軍勢はグジャラートのダバイーで激突し、敗れたトリンバク・ラーオは死亡した(ダバイーの戦い[3]

脚注

  1. ^ Madhya Pradesh Through the Ages, p357
  2. ^ a b 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.215
  3. ^ a b Advance Study in the History of Modern India (Volume-1 1707-1803) - G.S.Chhabra - Google ブックス

参考文献

  • 小谷汪之編『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』山川出版社、2007年

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