ティアナ包囲戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/06 09:31 UTC 版)
ティアナ包囲戦とは、707年〜708年、又は708年から709年の間にウマイヤ朝・ビザンツ帝国との間で勃発した包囲戦のことである。ウマイヤ朝軍(これよりアラブ軍とする)はビザンツ帝国に侵攻し、707年(又は708年)、ティアナを包囲し攻めたとされる。この包囲戦が行われた日時は詳しく分かってはいない。この包囲戦に関するギリシャ語・アラビア語・シリア語の文献の記述がそれぞれまちまちであるからだ。ティアナは、包囲戦初期の頃はなんとかアラブ軍の包囲を耐え抜くことができた。また籠城中にビザンツ皇帝ユスティニアノス2世から派遣された救援軍がティアナに到着しつつあった。それゆえに、(包囲が長引き冬に突入していたこともあり) アラブ軍はティアナ攻略を諦め撤退しようとしていた。しかしながら皇帝により派遣されたビザンツ救援軍はあまり戦闘経験が豊富でなく、それを率いていた将軍同士が仲違いしていたこともあり、アラブ軍はビザンツ軍を打ち破ることに成功した。結果的にアラブ軍はティアナを攻略し、ティアナの住民たちはアラブ軍に降伏した。ティアナの街は条約に反する形で、アラブ人に略奪され街の大部分が破壊された。ビザンツ側の資料によると、ティアナ住民はアラブ人らの奴隷となりウマイヤ本国に送還され、ティアナは寂れたまま放棄されたとされる。
- ^ Haldon (1997), pp. 69–72; Howard-Johnston (2010), pp. 499–500; Lilie (1976), pp. 99–112; Stratos (1980), pp. 19–34
- ^ Haldon (1997), pp. 72, 76, 80–83; Howard-Johnston (2010), pp. 507–510; Lilie (1976), pp. 110, 112–122
- ^ Lilie (1976), p. 140; Treadgold (1997), pp. 345, 346
- ^ Brooks (1898), p. 203; Lilie (1976), p. 116; Stratos (1980), pp. 144–145
- ^ Lilie (1976), p. 116; Mango & Scott (1997), p. 525; Stratos (1980), p. 145
- ^ Lilie (1976), pp. 116–117; Mango & Scott (1997), p. 526; Stratos (1980), p. 145
- ^ Lilie (1976), p. 117; Mango & Scott (1997), p. 526; Stratos (1980), pp. 145–146
- ^ Lilie (1976), p. 117 (Note #41)
- ^ Lilie (1976), p. 117; Mango & Scott (1997), p. 526; Stratos (1980), p. 146
- ^ Lilie (1976), p. 117; Mango & Scott (1997), p. 526; Stratos (1980), pp. 146–147
- ^ Lilie (1976), p. 118; Mango & Scott (1997), p. 526; Stratos (1980), pp. 147–148
- ^ Lilie (1976), pp. 139–142, 187–190
- 1 ティアナ包囲戦とは
- 2 ティアナ包囲戦の概要
- 3 文献一覧
- 4 詳細について
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