チリ急進党とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > チリ急進党の意味・解説 

チリ急進党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/20 08:25 UTC 版)

 チリ政党
急進社会民主党
Partido Radical Socialdemócrata(PRS)
党首 レオナルド・クビージョス・ラミレス
成立年月日 1994年
チリ共和国下院議席数
3 / 120   (3%)
(2024年3月)
チリ共和国上院議席数
0 / 38   (0%)
(2024年3月)
政治的思想・立場 中道[1][2] - 中道左派[3]
社会民主主義
急進自由主義
国際組織 社会主義インターナショナル
ラテンアメリカ・カリブ政党常設会議
公式サイト 公式サイト
テンプレートを表示

チリ急進党(チリきゅうしんとう、スペイン語: Partido Radical de Chile)は、チリ中道左派政党。1990年~2010年まで与党の座を維持していた政党連合「コンセルタシオン・デモクラシア」(民主主義のための政党盟約)以来、2021年に結成された「民主社会主義」まで、一貫して中道左派の政党連合に所属している。

概要

1994年急進党英語版 Partido Radical(PR)とチリ社会民主党英語版 Partido Socialdemócrata de Chile(PSd)が合併して結成された。急進党は1863年に結成されたチリの最も歴史ある政党の一つであり、4人の大統領を出すなどかつては有力政党の一つであった。チリ社会民主党は1971年に急進党の左派が離党して成立した政党である。急進党は1937年、社会党共産党とともに人民戦線を結成し政権を獲得したが、1948年にはアメリカ合衆国の圧力に屈して共闘していた共産党を突然非合法化(1948年1958年)した。その後キリスト教民主党や社会党、共産党の勢力拡大の狭間で急進党の党勢は次第に縮小し、特にサルバドール・アジェンデ政権下でアジェンデ支持派と反対派に分裂したことで得票は激減した。17年間の軍政時代を経た民政復帰後も急進党への支持は回復せず、社会民主党と合併した後も得票率は5%以下の小党に留まっている。社会主義インターナショナル加盟。

脚注

  1. ^ Bizzarro, Salvatore (2005), Historical Dictionary of Chile (Third ed.), Scarecrow Press, p. 559 
  2. ^ Lamb, Peter; Docherty, James C. (2006), Historical Dictionary of Socialism (Second ed.), Scarecrow Press, p. 314 
  3. ^ Meyer, Peter J. (2010), Chile: Political and Economic Conditions and U. S. Relations, Congressional Research Service, p. 17 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  チリ急進党のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「チリ急進党」の関連用語

チリ急進党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



チリ急進党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのチリ急進党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS