ダニー・セドロンとは? わかりやすく解説

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ダニー・セドロン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/03 03:26 UTC 版)

ダニー・セドロン(Danny Cedrone)、ドナート・ジョセフ・セドロン(Donato Joseph Cedrone、1920年6月20日 - 1954年6月17日)は、アメリカ合衆国ギタリスト、バンドリーダー。

ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの『ロック・アラウンド・ザ・クロック』のギターソロを演奏した人物として知られている。

来歴

ニューヨーク州で生まれる。セドロンは、1940年代前半から音楽活動を開始したが、本格的な音楽活動は1951年からで、最初はビル・ヘイリーとサドルメン(後のコメッツ)のセッションギタリストだった。同年7月14日に「ロケット88」を録音した。セドロンにとってこれが初めてのレコード録音である。

1952年後期にサドルメンを離れて、セドロンを中心としたバンド「ザ・エスクワイヤ・ボーイズ」を結成し、「ロッカ・ビーティン・ブギー(Rock-A-Beatin' Boogie)」や「ギター・ブギー・シャッフル(Guitar Boogie Shuffle「ギター・ブギー・シャッフル)」などを録音した。

1954年にセドロンはコメッツに戻り、同年4月12日に「サーティーン・ウーマン(Thirteen Women)」、「ロック・アラウンド・ザ・クロック(Rock Around The Clock)」を録音、同年6月7日には、「A.B.C. ブギー(A.B.C. Boogie) 」、「シェイク・ラトル・アンドロール(Shake Rattle And Roll)」を録音した。

セドロンは、ヘイリーとコメッツとセッションをした10日後の6月17日に、階段からの転落による首の骨折で亡くなった。享年33。

エピソード

• 「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の録音の際、セドロンはセッションのリハーサルに参加できなかったため、楽曲を正確に把握しておらず、コメッツの内の1人のメンバーから(当時のベーシストのマーシャル・ライトルといわれている)、「ロック・ザ・ジョイントの時のギターソロを弾いてみては?」という提案を受け入れ、ソロパートを演奏した。

• セドロンがコメッツと共演したライブ映像は一切存在せず、ステージで共演をしたこともない。

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