ダグラス・クーパー (画家)とは? わかりやすく解説

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ダグラス・クーパー (画家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/15 07:30 UTC 版)

ダグラスの『冒険を語るオセロ』に基づくジョン・エメリー(John Emery)の絵画、1879年画。

ダグラス・クーパー英語: Douglas Cowper1817年5月30日1839年11月28日)は、イギリスの画家。

生涯

クーパーが描いたとされる、友人ウィリアム・フリスの肖像画、1836年 – 1838年。

ウィリアム・クーパー(William Cowper、1778年/1781年 – 1841年)とイザベラ・ダグラス(Isabella Douglas、1791年 – ?)の四男として[1]、1817年5月30日にジブラルタルで生まれた[2]。一家は1829年9月までにガーンジー島に移住、クーパーは同年から1832年までガーンジー島のエリザベス・カレッジ英語版で教育を受けた[1]。ガーンジー島で絵画に興味を持ち、同島にある絵画をいくつか模写したという[2]

1834年にロンドンに行き、ヘンリー・サス英語版の指導を受けた後[2]、1836年1月2日にロイヤル・アカデミー・オブ・アーツに入学した[1]。同年12月[1]ダリッジ・ピクチャー・ギャラリーに展示されていたニコラ・プッサンの『リナルドとアルミーダ』の模写で銀メダルを授与された[2]。また、サスの指導を受けた時期にウィリアム・フリスと親しい友人になり、フリースは1887年から1888年にかけての自叙伝でクーパーを賞賛した[1]

1837年にロイヤル・アカデミーで展覧会を開き[2]、以降死去までロイヤル・アカデミー、英国美術振興協会英語版英国王立美術家協会で合計17点の絵画を展示した[1]

オックスフォード英国人名事典によると、1839年にロイヤル・アカデミーで展示された『冒険を語るオセロ』(Othello Relating his Adventures)はダグラスが将来有望な画家であることを示す作品だった[1]。しかし、ダグラスは1838年より結核にかかり、病状が悪化の一途をたどったため一時は南仏で休養したが、病状は好転せず、ガーンジー島に帰ったのち1839年11月28日に早世した[2]

出典

  1. ^ a b c d e f g Cust, Lionel Henry; Hamlyn, Robin (24 May 2008) [2004]. "Cowper, Douglas". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/6502 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
  2. ^ a b c d e f Cust, Lionel Henry (1887). "Cowper, Douglas" . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 12. London: Smith, Elder & Co. p. 385.



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