ジョン・オズボーン (第11代リーズ公爵)とは? わかりやすく解説

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ジョン・オズボーン (第11代リーズ公爵)

(ジョン・オズボーン (第11代リーズ公) から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/15 08:51 UTC 版)

第11代リーズ公爵ジョン・フランシス・ゴドルフィン・オズボーン英語: John Francis Godolphin Osborne, 11th Duke of Leeds1901年3月12日1963年7月26日)は、イングランド貴族。1901年から1927年までカーマーゼン侯爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

第10代リーズ公爵ジョージ・ゴドルフィン・オズボーンと妻キャサリン・フランシス(Katherine Frances、旧姓ラムトン(Lambton)、1862年9月5日 – 1952年12月6日、第2代ダラム伯爵ジョージ・ラムトン英語版の娘)の息子として、1901年3月12日にイタリア王国ボルディゲーラで生まれた[1]イートン・カレッジケンブリッジ大学ジーザス・カレッジで教育を受けた[1]

1927年5月10日に父が死去すると、リーズ公爵位を継承した[1]。しかし、父がギャンブルにより多額の負債を残したため、1930年に所領のホーンビー城英語版を解体・売却せざるを得ず[2]、自身は南フランスコート・ダジュールに引っ越した[3]

1933年3月27日にイルマ・デ・マルコゾーニ英語版と結婚した[4]。イルマはセルビア人のバレーダンサーだったが、アメリカの富豪フランク・アサートン・ハワード(Frank Atherton Howard)と駆け落ちしたため、2人は1947年に離婚した[3][4]。リーズ公爵は1948年12月21日にオードリー・ウィリアムズ(Audrey Williams、アーサー・エヴァンス・ベッドワード・ウィリアムズの元妻、デズモンド・ヤングの娘)と再婚して、1女をもうけた[4]

  • カミラ・ドロシー・ゴドルフィン英語版(1950年8月14日 – ) - 1971年、ロバート・ジュリアン・ブランロー・ハリス(Robert Julian Brownlow Harris、クリストファー・マネー・ハリスの息子)と結婚して、子供をもうけたが、2人は1976年に離婚した。1977年、ナイジェル・デンプスター英語版(1941年11月1日 – 2007年7月12日)と再婚して、子供をもうけたが、2人は2002年に離婚した

リーズ公爵はオードリーとともにジャージー島に引っ越したが、オードリーが近衛連隊の士官と不倫関係をもったため[3]、2人は1953年に離婚した[4]。リーズ公爵は1955年2月22日にキャロライン・フルール・ヴァッチャー英語版(2005年7月16日没)と再婚した[4]

リーズ公爵が売却した、フランシスコ・デ・ゴヤによる初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの肖像画。1812年から1814年ごろの作品。

1961年、フランシスコ・デ・ゴヤによる初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの肖像画をオークションで売却した[5]。アメリカの美術収集家チャールズ・ビアラー・ライズマン英語版が14万ポンドで落札したが、イギリス政府が介入してアメリカへの売却を阻止、代わりに政府が同じ金額をリーズ公爵に支払って絵画を購入するとした[5]。絵画はロンドンナショナル・ギャラリーで展示されることになったが、8月21日に盗難された[5]。以降しばらく行方不明になり、王立芸術院会長を務めたことのあるサー・ジェラルド・ケリー英語版が1964年に絵画がゴヤの作品ではないと主張する事件も起こった[5]。1965年初、『デイリー・ミラー』紙の編集部が犯人に絵画の返還を呼びかけるキャンペーンをはじめ、犯人はこれに応じて同年5月5日に匿名で絵画を返還した[5]。ただし、リーズ公爵自身は1963年に死去しており、絵画の返還を見ることはなかった[4]。犯人は1969年7月に自首し、絵画を盗んだことは認めたが、窃盗自体が目的ではなく、自身の政治キャンペーンへの注目を集めることが目的だった供述した[5]。結局、犯人は絵画の窃盗では無罪になり、額縁の窃盗でのみ有罪となった[5]

1963年7月26日に死去、娘しかもうけなかったため爵位は曽祖父の弟の孫にあたるフランシス・ダーシー・ゴドルフィン・オズボーン英語版が継承した[4]

娘カミラによると、第11代リーズ公爵には「人生の目的が全くなかった」(He had absolutely no purpose in life)という[3]

出典

  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 519.
  2. ^ Historic England (27 November 2014). "Hornby Castle Park (Grade II) (1420079)". National Heritage List for England (英語). 2021年1月13日閲覧
  3. ^ a b c d Midgley, Dominic (24 October 2015). "BBC documentary reveals Britain's dukes last of a dying breed". Express (英語). 2021年1月13日閲覧
  4. ^ a b c d e f g "Leeds, Duke of (E, 1694 - 1964)". Cracroft's Peerage (英語). 1 August 2007. 2021年1月13日閲覧
  5. ^ a b c d e f g Whitford, Frank (6 July 2020) [1965]. "Why a Retired Bus Driver Stole a Goya from the National Gallery". ArtReview (英語). 2021年1月13日閲覧

外部リンク

イングランドの爵位
先代
ジョージ・ゴドルフィン・オズボーン
リーズ公爵
1927年 – 1963年
次代
ダーシー・ゴドルフィン・オズボーン英語版



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