ジェームズ・ドラモンド (第2代パース公爵)とは? わかりやすく解説

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ジェームズ・ドラモンド (第2代パース公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 06:33 UTC 版)

ジョン・バプティスト・メディナ英語版による肖像画、1700年頃。

第2代パース公爵ジェームズ・ドラモンド英語: James Drummond, 2nd Duke of Perth1674年頃 – 1720年4月17日)は、ジャコバイト貴族。1715年ジャコバイト蜂起に参加したことで知られる。ドラモンド卿、後にドラモンド侯爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

第4代パース伯爵ジェームズ・ドラモンド(ジャコバイト貴族では初代パース公爵)と1人目の妻ジェーン・ダグラス(Jane Douglas初代ダグラス侯爵ウィリアム・ダグラス英語版の娘)の息子として、1674年頃に生まれた[1]パリコレージュ・ド・エコッセ英語版で教育を受けた後、1690年にジェームズ2世に同伴してアイルランドに向かった[1]

1705年にジェームズ老僭王からシッスル勲章を授与された[1]1715年ジャコバイト蜂起にも参加、シェリフミュアの戦い英語版で騎兵を率いたほか[2]エディンバラ城に奇襲を仕掛けたが、その結果1716年2月17日に私権剥奪され、同年に老僭王とともにフランスに逃亡した[1]。また、老僭王から主馬頭に任命された[1]。1716年5月11日に父が死去すると、ジャコバイト爵位のパース公爵を継承した[1]

1706年8月5日、ジーン・ゴードン(Jean Gordon、1773年1月30日没、初代ゴードン公爵ジョージ・ゴードンの娘)と結婚[1]、2男を儲けた[3]

  • ジェームズ英語版(1713年 – 1746年) - 第3代パース公爵
  • ジョン英語版(1714年 – 1747年) - 第4代パース公爵

ジーンは1745年ジャコバイト蜂起を支持したため、1746年2月から11月までエディンバラ城に投獄された[1]

1720年4月17日、パリで死去、長男ジェームズ英語版が爵位を継承した[1]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j Cokayne, George Edward, ed. (1895). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (N to R) (英語). Vol. 6 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 236–237.
  2. ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Perth, Earls and Dukes of" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 21 (11th ed.). Cambridge University Press. p. 259.
  3. ^ "Perth, Earl of (S, 1604/5)". Cracroft's Peerage (英語). 21 December 2003. 2019年8月4日閲覧
スコットランドの爵位
先代
ジェームズ・ドラモンド
— 名目上 —
パース伯爵
1716年 – 1720年
次代
ジェームズ・ドラモンド英語版
— 名目上 —
パース公爵
1716年 – 1720年



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