コンスタンティネ1世_(ムフラニ公)とは? わかりやすく解説

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コンスタンティネ1世 (ムフラニ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/05 22:32 UTC 版)

コンスタンティネ1世
グルジア語: კონსტანტინე I
コンスタンティネ1世の墓碑(スヴェティツホヴェリ大聖堂)

ムフラニ公
在位期間
1659年–1667年
先代 ヴァフタング2世
次代 テイムラズ2世

出生 1618年
死亡 1667年
埋葬 スヴェティツホヴェリ大聖堂英語版ムツヘタ
家名 ムフラニ家グルジア語版
父親 テイムラズ1世
母親 アナwikidata
配偶者 ダレジャン・アバシゼwikidata
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ムフラニ公コンスタンティネ1世グルジア語: კონსტანტინე I მუხრანბატონიグルジア語ラテン翻字: Konstantine I Mukhranbatoni1618年1667年)は、17世紀のジョージアの貴族。ムフラニ家グルジア語版の当主として、1658年から1667年までムフラニバトニ)および内カルトリグルジア語版軍管区職権上の司令官を務めた。

生涯

コンスタンティネ1世は1618年から1622年の間に生まれたとされる。父親はカルトリ王コンスタンティネ2世の曽孫ムフラニ公テイムラズ1世、母親はアラグヴィ公グルジア語版ヌグザルグルジア語版の娘アナwikidataであった。兄のヴァフタングはカルトリ王ロストムグルジア語版の養子となり[1]、ロストムの没後1658年にカルトリ王位を継承した。その際、ヴァフタングはサファヴィー朝の従属下にあったため、イスラム教に改宗した。一方。コンスタンティネ1世はキリスト教徒のままであった。

ムフラニ公の地位は1659年まで兄ヴァフタングにあったが、ヴァフタングのカルトリ王位継承に伴い、コンスタンティネ1世がムフラニ公の地位を譲り受けた[2]。コンスタンティネ1世はカルトリ王国の封臣となったが、他のジョージアの貴族たちよりも常に上位であり、国王と大臣に次ぐ地位にあった。ムフラニ公国はコンスタンティネ1世の統治において繁栄し、ムフラニ公国の最盛期と見なされている。コンスタンティネ1世は1667年に死去し、ムツヘタスヴェティツホヴェリ大聖堂英語版に埋葬された。ムフラニ公の地位は、コンスタンティネ1世の息子テイムラズが後を継いだ。

家族

コンスタンティネ1世はイメレティ王国東部の有力貴族グアナ・アバシゼwikidataの娘ダレジャン・アバシゼwikidataと結婚した。2人の間には、次の子供が生まれた[2]

歴史学者キリル・トゥマノフによると、以下もコンスタンティネ1世の子であるとされる[4]

文献

  • Gelashvili, Nana (2012). “Iranian–Georgian Relations during the Reign of Rostom (1633–58)”. In Floor, Willem; Herzig, Edmund (eds.). Iran and the World in the Safavid Age (英語). London: I.B. Tauris. ISBN 978-1850439301.
  • Metreveli, Roin (2003). ბაგრატიონები. სამეცნიერო და კულტურული მემკვიდრეობა [Scientific and Cultural Heritage of the Bagrationis] (グルジア語). Tbilisi: Neostudia. ISBN 99928-0-623-0.
  • Toumanoff, Cyrille (1990). Les dynasties de la Caucasie Chrétienne: de l'Antiquité jusqu'au XIXe siècle: tables généalogiques et chronologique [Dynasties of Christian Caucasia from Antiquity to the 19th century: genealogical and chronological tables] (フランス語). Rome.{{cite book2}}: CS1メンテナンス: publisherのないlocation (カテゴリ)
  • Assatiani, Nodar; Bendianachvili, Alexandre (1998). Histoire de la Géorgie (フランス語). Paris: Éd. l'Harmattan.

出典

  1. ^ (Gelashvili 2012, p. 496)
  2. ^ a b “The Bagrationi (Bagration) Dinasty: Genealogy”, The Royal Ark (英語)
  3. ^ (Metreveli 2003, p. Table 8)
  4. ^ (Toumanoff 1990, p. 556)



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