テイムラズ2世 (ムフラニ公)
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テイムラズ2世 グルジア語: თეიმურაზ II |
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ムフラニ公
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在位期間
1667年–1688年 |
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先代 | コンスタンティネ1世 |
次代 | アショタン2世 |
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出生 | 1649年 |
死亡 | 1688年 |
家名 | ムフラニ家 |
父親 | コンスタンティネ1世 |
母親 | ダレジャン・アバシゼ |
配偶者 |
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ムフラニ公テイムラズ2世(グルジア語: თეიმურაზ II მუხრანბატონი、グルジア語ラテン翻字: Teimuraz II Mukhranbatoni、1649年 – 1688年)は、カルトリ王国の支配王朝であるバグラティオニ王家の分家、ムフラニ家の当主。1667年から1688年までムフラニのバトニ(公)であった。
生涯
テイムラズは1649年にムフラニ公コンスタンティネ1世の息子として誕生した。母親はイメレティ王国東部の有力貴族グアナ・アバシゼの娘ダレジャン・アバシゼであった。1667年に父コンスタンティネ1世が死去すると、テイムラズはムフラニ家の当主となりムフラニ公の地位を継承し、同時にカルトリ王国の軍管区(サドロショ)の名目上の司令官(サルダリ)に就いた。翌1668年からはカルトリ宮廷の宮内長官(ムサフルトゥフツェシ)も務めた。
テイムラズ2世は1688年に死去。ムフラニ公の地位はアショタン2世に引き継がれた。なおアショタン2世の出自については諸説ある。1つはテイムラズ2世の従叔父とする説[1]もう1つは弟とする説である[2]。
家族
テイムラズは2度結婚をした。1度目はアナと、2度目はケテヴァン・オルベリアニとであった。テイムラズは以下の子供をもうけた。
- オティア(? – 1719年)
- アダルナセ(? – 1701年)
- バグラト(? – 1703年)
- コンスタンティネ(? – 1716年) - ムフラニ公。
注釈
- ^ Metreveli, Roin, ed. (2003). ბაგრატიონები. სამეცნიერო და კულტურული მემკვიდრეობა [Scientific and Cultural Heritage of the Bagrationis] (ジョージア語、英語). Tbilisi: Neostudia. p. Table 8. ISBN 99928-0-623-0.
- ^
Toumanoff, Cyrille (1990). Les dynasties de la Caucasie Chrétienne: de l'Antiquité jusqu'au XIXe siècle: tables généalogiques et chronologique [Dynasties of Christian Caucasia from Antiquity to the 19th century: genealogical and chronological tables] (フランス語). Rome. p. 556.
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参考文献
- ბაგრატიონები - სამეცნიერო და კულტურული მემკვიდრეობა" - თბ. 2003 მუხრან-ბატონთა და ბაგრატიონ-მუხრანელთა გენეალოგია
- მუხრანბატონთა გენეალოგიური ტაბულა (იური ჩიქოვანი, სოსო ბიჭიკაშვილი, დავით ნინიძე) - კრებული "არტანუჯი" N 5 - 1996 წ. - გვ.28-36
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